地方共同法人 日本下水道事業団

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証言で綴るヒストリー Testimony

座談会

平成の特殊法人等改革とJSの対応


~現在に至る転換点となった地方共同法人化~

〈出席者〉
藤 原 健 朗 氏  一般社団法人日本電設工業協会専務理事
石 引 庄 一 氏  一般財団法人砂防・地すべり技術センター総務部長
矢 野 知 宏 氏  公益財団法人日本下水道新技術機構技術評価部副部長
山 田 敏 史    日本下水道事業団ソリューション推進部事業経営支援課長
〈司会進行〉
水 津 英 則    日本下水道事業団研修センター所長

(2022(令和4)年5月27日収録)

座談会メンバー

地方共同法人化との関わり

水津:日本下水道事業団(JS)は2003(平成15)年10月、地方共同法人への移行を行いました。移行以前のJSはいわゆる広義の特殊法人で、当時の建設省の認可法人という位置づけでした。今回はこの地方共同法人化をテーマに取り上げることになりまして、移行作業の中心となった特殊法人改革室に所属されておられた皆さまにお集りいただきました。
 そこで初めに、自己紹介も兼ねて皆さまとJSの関わり、その当時の所属についてお聞かせいただければと思います。

藤原
藤原:私は2000(平成12)年に建設省からJSに企画課長として出向しました。出向後、2~3カ月で特殊法人の改革の動きが出てきました。2000(平成12)年1月に、行政改革大綱が閣議決定され、2001(平成13)年6月に特殊法人等改革基本法が施行されるといった一連の流れの中で、2001(平成13)年1月にはJSに室長1名、室員4名からなる特殊法人改革室が設置されました。
 3年ほどJSにお世話になり、法人改革の中で地方共同法人化という結論になったところまで、特殊法人改革室長として、作業部隊のリーダーをやらせていただきました。JS出向時代は、まさに法人改革に身を捧げていました。

石引
石引:私も建設省からの出向で、JSには2001(平成13)年1月から2003(平成15)年3月まで、2年3カ月在籍しました。法人改革という大事な局面で、コアとなる業務に携わったことは、大変光栄であり、勉強にもなりました。
 政府全体の流れの中で特殊法人改革が動いているのは頭では理解していましたが、地方にいるとなかなか情報が入らなくて、肌で感じることがあまりできませんでした。
 着任後、引継ぎが無い代わりに特別な業務をやると言われ、JSの企画課長代理の席に着きました。年が明けて1月10日に法人改革室が設置され、まず国の特殊法人等整理合理化計画を読み解くことから、作業が始まったのです。
 国のヒアリングに備えて、基本的なデータを収集して整理するのですが、藤原さんという優れたリーダーのセンスに従ってやっていこうと思いながらも、どこにどういうデータがあるかを探して、課題の整理と想定問答をつくっていきました。
 私は国土交通省との窓口となって情報共有を行うのが主な仕事でした。国交省からJSに依頼された下請け的な作業が結構多かった記憶があります。提出日の2~3日前に仕上げて欲しいとスタッフにお願いするようなスケジュール管理を行っていました。
 法人改革室を設置した主旨は、権限を集中して各部との調整を一元的に行うことで、スムーズな意思決定につなげることでした。JSの各部署にお願いして必要なデータを取り寄せるといった仕事がやりやすい体制を目指したのです。この座談会開催に当たって、JSに残っている昔の資料に目を通したところ、私が差出人のメールが結構あり、改めて、こうした連絡調整をやっていたのだなと思いました。平成13年は勝負の年だ、出だしの1年でいろいろなかたちの決着がつくのだという認識を持って、業務に取り組みました。

矢野
矢野:私はJSのプロパー職員として昭和62年に採用され、昨年3月に退職しました。
 法人改革室が立ち上がる頃、JS本社計画部の広域処理課でエースプラン(下水汚泥広域処理事業)の維持管理の予算や契約、制度関係の業務に携わっていました。平成10 年度末にエースの事業資金である財政融資資金の償還確実性を精査するようにとの行政監察の指摘がありました。これを発端に、理事長をトップとしたエース事業の経営委員会が設置され、エースに関わる全職員が経営改善に向け一丸となっていた頃、平成12年の年末頃のことです。本省から出向の山根計画部長に「法人改革室が立ち上がることになった。事務職が中心で構成される組織だが、技術職も1人入れる必要があり、矢野君、行ってくれるか」と聞かれました。二つ返事で了承しましたが、まさかそこから2~3年にわたって行われるJSの特殊法人等整理合理化計画や法律改正、そしてエース事業の地方公共団体移管という重要な節目に立ち会うことになるとは想像していなかったです。
 年が明けて法人改革室に配属されますと、藤原さんと石引さんがおられました。私は法人改革室で唯一の技術職として、委託団体や受注者と一緒に仕事をしていた経験を踏まえ、JSの役割や地方公共団体とどういう付き合いをして、どう評価されているかといった現場の感覚も、極力情報提供していくべきと思って取り組んでいました。

【資料】日本下水道事業団の地方共同法人化の特徴
・ 政府出資の廃止 → 地方公共団体のみの出資
・ 国の関与の廃止・縮減及び経営の自立化 → 理事長等の自主的選任など
・ 評議員会の位置付けの強化 → 重要事項の議決機関 

山田
山田:私もJS プロパー職員で、現在は事業経営支援課長を務めています。私は2001(平成13)年4月に法人改革室に異動命令を受け、このチームに後から加わりました。法人改革室の発足した2001(平成13)年1月当時は、国交省の下水道部に研修員として出向中で、JS内部の動きを知らなかったのです。それで3月で出向期間が終了し、JSに戻るとなったときに、法人改革室に配属という内示を受けました。
 当時は、行革、行革という世の中でしたので、うっすらとそうした流れを知ってはいたのですが、まさか自分がその当事者として立ち合うことになるとは思いませんでした。とうとう来るものが来たのかと覚悟を決める一方で、自分自身でJS の行く末を見届けたい、そういうところで少しでも役に立ちたいというやりがいも感じながら赴任したことを、今でも鮮明に覚えています。

水津
水津:法人改革室の設立は2001(平成13)年1月で、設立当時のメンバーは室長の藤原さんをはじめ、石引さん、矢野さん、この座談会には欠席となりましたが、現在、東日本設計センターの企画調整課で勤務されている橋本豪雄さん、そして年度が代わった4月に山田さんが加わったのですね。


法人改革室の方向性

水津:法人改革室は、どのような目的・目標をもって、どういう位置付けで動いていたのか、改めてお聞きしたいと思います。

藤原:建設省では法案などを制定・改正する際、通常の体制では業務が追いつかないから、専門のプロジェクトチームを立ち上げて対応するのが一般的です。この発想をJSにも当てはめて、法人改革室が発足したのだと思います。

石引:赤坂のJS本社の会議室を改装して、法人改革室の執務室にしました。最初は何もないという感じでしたね。机が置いてあるだけでした。

藤原:まるでタコ部屋 1)のようだと自嘲していました。
 私の昔のメモを見ると、2000(平成12)年10月に特殊法人改革の方向性を与党がOKして、12月に行政改革大綱が、そして13年12月に特殊法人等整理合理化計画が策定されました。全部の特殊法人について課題を洗い出す作業が始まったのですが、JSは国のいわゆる特殊法人そのものではないため、当初は改革の対象になるのかどうかわからない面もありました。

1 )国土交通省で法律制定などの集中作業の際に、臨時に会議室などに要員を常駐させて執務させる部屋。窓がないなど殺風景なケースが多い。

石引 :事業団と名の付く団体のほとんどが特殊法人でした。「認可法人」は日本下水道事業団だけでした。だから、特殊法人改革の対象かどうか、判断できませんでした。

水津:対象になった場合に備えて、先手を打って対応しておこうと法人改革室を立ち上げた感じだったのですね。

石引:整理合理化計画のリストの中にJSは入っていましたから。

水津:国からのヒアリングへの準備が、法人改革室の最初の業務だったとのことですが、実際に国側はどんなアクションがあったのでしょうか。

藤原:内閣の特殊法人等改革推進本部からJSに直接話が来ることは、あまりなかったと記憶しています。全部、所管官庁である国交省との折衝でした。ヒアリングのたびに国交省下水道部に頻繁に出向いて調整をしていた記憶があります。

石引:国交省の背後に、各省庁の精鋭が集まってきている特殊法人等改革推進本部があるという圧力は感じていました。

水津:さまざまな認可法人、特殊法人を所管している各省庁が、資料などを取りまとめて行革等をやるのですが、当時、本当に特殊法人は天下り先となる悪の組織といった風潮があったので、なにか行わなければいけないということだったのでしょう。

藤原:国交省のそれぞれの法人の担当課は結構苦労されていた感がありました。それなりの必要性や思いがあって、法人をつくって国自身ができない事業を実施していました。そこに行革のメスが入ることについては、国交省下水道部も相当な危機感を持っていました。改革推進本部からこういうシビアな課題を突き付けられることもあるだろうから、それを想定して準備しておこうといったような打ち合わせを、下水道部とわれわれで何度も行っていました。

矢野:JS の実態の細かいところは本省では把握しきれていないと思いましたので、主体的にこちらで内部のデータをまとめて、必要になると思われる資料を作っていきました。

石引:ヒアリングまでの期間が短くて、資料提出の締め切りもシビアな一方で、資料のボリュームも大きくて苦労しました。

水津:先行してある程度資料をまとめていたことが、ヒアリングに向けた対応を早く的確に行うことにつながったのですね。
 行政改革大綱、特殊法人等改革基本法、特殊法人等整理合理化計画と流れが進む中で、JSが国のヒアリングを受けながら、このような方向性で行きたいというのを打ち出したのは、どのぐらいのタイミングだったのでしょうか。多くの特殊法人が、廃止か民営化という流れの中で、JS は地方共同法人という独特の道を歩むことになったのですが。

矢野:ヒアリングがある程度進み、各法人の事業の実態が把握された8 月頃に全ての特殊法人等を対象に廃止又は民営化に関する調査がありました。まずは廃止を検討し、廃止できない法人は民営化を検討せよ、という調査です。ここでの民営化とは特殊会社、民間法人、完全民営化を総称しており、民間法人については、その概念が記された「自立化の原則」というものが示されていました。JS はどの方向に行くのかという選択を、突き付けられたという印象でした。

藤原:改革の全体の流れは、国が直轄的に管理・運営していくのではなく、とにかく自立化するというものでした。しかしJSは、設立経緯や特殊性から、どういうかたちに整理されるのかなという不安がありました。本省の下水道部などといろいろ情報交換、議論して、方向性を詰めていきました。

水津:JSの業務の主流は地方公共団体の処理場・ポンプ場建設事業の受託業務、JSが自ら施設を保有し広域的に汚泥の焼却をしていたエース事業、あとは技術開発と研修業務、三つですね。この三つは性質が別個ですので、全部まとめて組織ごと改革するというよりは、業務ごとに考えていったのでしょうか。

矢野:業務ごとに分けて考えていました。

水津:民間業者がいればJSの受託事業は不要ではとか、研修事業は日本下水道協会が全てやればいいのではとか、技術開発もJSで担う必要はないのではといった話も良く出ていました。そうした不要論に対する反論を、根拠を示しながら行うといった感じだったのでしょうか。

矢野:受託事業に関しては、コンサルが設計を担い、ゼネコンやメーカーが建設工事を担う、JSは地方公共団体側の発注者の立場で事業全体のマネ ジメントを行うということを理解してもらうよう努めました。
 エース事業については、後に続く新規事業がないという指摘も受けましたが、これは事実ですので認めつつも、現行の事業はしっかりやっていきますと。研修と技術開発は、受託事業での現場経験を活かして一体的にやっていくという主張でした。
 ただ、民間法人化する法人には財政融資資金は貸さない、と財務省が早々と声をあげていたこともあり、エース事業は最初から厳しい状況でした。

藤原:受託事業の部分が一番苦労したところです。研修や技術開発はオールジャパンで一つの方向を先導していくと理解していただけました。しかし、受託事業は要するに受発注の関係になってしまいますので、理論を工夫する必要がありました。

矢野:下水道法第22条に「公共下水道を設置し、又は改築する場合においては、その設計又はその工事の監督管理については、政令で定める資格を有する者以外の者に行わせてはならない」という記載があり、これを曲解されて、資格を有するものであればJSの代わりに受託できるという誤った解釈を持たれることもありました。
 また、受託事業が業務独占にあたるのではないかとの指摘もありましたが、地方公共団体自身がJS委託か独自施工を選択していることを理解してもらいました。中小市町村からの受託シェアからも、地方公共団体の補完代行の仕事をしている掛け替えのない組織だと最後に認めてもらったのではないかなと思います。

JS のあり方について理解を図る

水津:室の雰囲気はいかがだったのでしょうか。

矢野:リーダーが良かったので、居心地の良い部署でした。メリハリが効いたかたちで仕事ができたと思います。

石引:残業も多くはなかったですね。

矢野:集中して仕事をしていました。

藤原:アンケートの原案をつくるとか集計するとか、そういう節目節目の忙しいときは時間的にも拘束があったと思います。とにかく宿題が来てこれをまた投げて返してといったことをやり続けていた感じなんですね。集中してやって、意外と早く終わることも多かったです。

石引:そこはチームワークも良かったのだと思います。

水津:JS役員との関係はどのような感じでしたか。

藤原:JSの行く末についても、本省から下水道の技術職として来られている方が一番、業務をわかっていらっしゃるし、JSの行く末を一番心配されておられました。また国からJS に来て法律とか制度をつくるそういうノウハウに詳しい役員の方々は、行革は甘いものではないという意識があるので、どこらへんで折り合うかといった現実的な落としどころも考えていたと思います。どういう方向でどう改善していくかといった議論を繰り返しながら、少しずつ詰めていったという感じがありますね。

矢野:その中で当時の安中副理事長は、エース事業の廃止により、プロパー職員が実の経営や維持管理の現場を失うことを案じておられました。

石引:意見交換会などでも、結構活発な意見が飛び交いました。

水津:国からのヒアリングがある程度終わって、JSの方向性の全体像が見えてきたのは、どのようなタイミングなのですか。

矢野:さきほど述べましたように、8月頃に示された「自立化の原則」のなかで、特殊会社、民間法人化された特殊法人・認可法人、完全民営化といった類型が示されていました。一般的な民間法人より、今のJSに近い機能である民間法人の類型があったことから、そこを着地点としました。たどり着くための説明資料をつくって、こういうことが確保できれば民間法人化はできるといったような回答を出しました。

藤原:2001(平成13)年12月の整理合理化計画策定に至るまでの過程で、そんなにこれまでの仕事を変えなくてもいいんじゃないかといった理解が、13年の下半期には見えてきたのです。

矢野:民間法人の概念を理解したうえで、対象となった特殊法人のグルーピングにおいて、JSは「条件が揃えば民営化に向け検討」というグループに当てはめられることをJSもやむを得ないとしました。一方で「廃止・民営化は困難」といったグループにも多数の法人がありましたが、小泉首相が「そんな総裁はやめさせる」「不退転の決意だ」といった声が公表翌日の朝刊の一面となっていました。

水津:JSの業務が自治体に移管するという根拠のない情報がニュースで出たこともあり、慌ててそれを打ち消したという資料も残っていますね。移管してJSが消滅してしまうとなれば、地方公共団体の皆さまが動揺すると思いますが、これについての対応はありましたか。

石引:当時の塩路計画課長名義で文章を作成し、JSの工事事務所から、地方公共団体に説明に回るということをしていたと思います。JSは存続し、受託事業を続けるという内容でした。

矢野:民間法人と言っても、なかなか正確には理解していただけないので、完全民営化するのではという誤解も多かったですね。

藤原:JSは受託してお金を稼ぐという民間の会社的な側面もある組織ですので、国が出資を無くすことで国の手が離れるという概念での議論であるはずが、民営化という言葉で誤解を招いたのですね。

水津:これまでは国と地方公共団体からJSに出資いただいて、かつ補助金をもらっていたのですが、国の出資を外すことが結構なポイントだったのですね。

藤原:法人改革について、地方公共団体にもきちんと理解をいただくべく、「日本下水道事業団の業務・組織のあり方に関するアンケート」を、首長に対して実施することとしました。2001(平成13)年11月に発送して、12月に集計しました。
 その頃は、JSがどうなるかという結論が見えてきていましたので、こういうかたちでの運営の仕方になるのはどう思いますかといったことを聞いたのです。

山田:まず「地方公共団体が事業団の運営に責任を負うこと」の是非を聞いていますね。
 それに対して9割近くが適当ではないという回答となりました。それは、国の施策として進めるべきものであるからというのが第一の理由です。

水津:国の出資も補助もなくて、完全に地方公共団体のみでJSを運営するのはおかしいというのが、地方公共団体の主張ですね。

藤原:下水道を普及させるというのは国策という考えが強かったのですね。下水道の普及推進機関としてJSがあるわけだから、国が手を放してしまって、地方公共団体が運営するというのは違うということです。

矢野:基本的にJSは補完代行機関で、下水道事業の先進的な都市がJSを通じて中小市町村を支援しているという側面もあるのですね。大都市から職員がJSに出向して中小市町村からの受託事業に携わったり、研修の講師として教えたりといった技術者のプール機能がありますが、国策との結びつきがなく地方のみが運営となれば、どこもJSに人を出さないのではないかとの意見もありました。

【資料】特殊法人等改革の経緯
特殊法人等改革の経緯

石引:地方共同法人化という名称への疑問も大きかったですね。その実態が分からないうちは、地方公共団体のみで事業を行うことで推進力を失ってしまうといった誤解もありました。

水津:特殊法人等改革推進本部から「特殊法人等の個別事業見直しの考え方」が8月10日に、そして「特殊法人等の廃止又は民営化に関する各府省の報告」が9月4日に公表されましたが、そこにはどう書いてあったのでしょうか。

石引:各府省の報告には、廃止民営化の可否の項目があり、そこでJSは廃止できませんとなっています。民営化をするとしたらこんな形態が確保できればいいですよといったことが記載されました。

藤原:受入れ可能な内容であれば、必ずしも「民営化」を否定しないというスタンスです。

石引:他の組織は完全反対していると回答しているのに、JSが民営化を許容するようなことを書いたから、誤解を招くような報道があったのです。

矢野:それは民間法人としての概念をしっかり理解できたから、条件を確保してくれたら受け入れ可能という回答ですね。

【資料】特殊法人等整理合理化計画の概要
・ 平成13年12月19日に閣議決定された。
・ 163 の特殊法人及び認可法人を対象として、個別の法人についての事業及び組織形態の見直し内容が定められるとともに、各特殊法人等が共通的に取り組むべき改革事項が示された。
具体的には、
・ 共済組合45法人を除く118法人について、17法人が廃止、45法人が民営化等、38法人が36の独立行政法人化、その他18法人は現状維持または別途検討として整理された。
・ 組織の見直しと併せて、各法人について、組織形態ごとの性格も踏まえつつ、役員給与・退職金の適正化やディスクロジャーの徹底等が図られることとされた。
・ 速やかに同計画の実現のため具体的措置の検討の段階に移行することとされた。
・ 財政支出に関し、この「計画」の見直し内容について、可能な限り14年度予算に盛り込み、その大胆な削減を図るとともに、出資金の見直し等により予算の透明性の向上を図ることとされた。

【資料】日本下水道事業団に係る特殊法人等整理合理化計画の内容
<認可法人>日本下水道事業団
[事業について講ずべき措置]
〇下水汚泥広域処理事業は廃止する。なお、既設の処理施設については、地元地方公共団体との調整・協議を経た上で、地元地方公共団体に移管する。
[組織形態について講ずべき措置]
●地方共同法人(仮称)又は民間法人とする。

山田:民営化に対して、JSが先頭を切ってくれという意見もありました。

藤原:ある程度の実が取れれば、民営化でも良いということです。

石引:次いで10月5日に公表された「特殊法人等の組織見直しに関する各府省の報告に対する意見」では、一定の措置が講じられれば民営化も可能、地方公共団体との調整と書いてあります。

矢野:その次の段階が地方共同法人化ですね。

水津:地方公共団体の事業とすること、地方公共団体が運営に責任を負う法人とすることを含めた民営化ということですね。

山田:私は、これは民営化の流れだと思っていました。ですから2001(平成13)年12月に地方共同法人ということになったときに、一歩後退したというか、歩み寄ってくれたのかなと思いました。

矢野:民営化や地方公共団体移管といった情報が報道されたこともあり、私もJSプロパー職員を集めた場に呼ばれて説明したりしましたが、「大丈夫なのか」という反応は多かったです。今のようにイントラネットなどがしっかり整理されていたら、JS内部に偏りなくきちんと情報提供することに躊躇しなかったかもしれませんが、当時は広報戦略も形にはなっていなかったですから、我々も十分でない段階での情報を誤解なく伝えないとハレーションが起きるのではとの不安がありました。

水津:その前の段階として独立行政法人化の話はなかったですか。

藤原:独立行政法人化は、いわゆる公団のような国が本来、事業主体になっているような組織ですね。JSは公団系のところとは違う扱いだと感じていました。本省の下水道部でもその意識だったと思います。

矢野:下水道事業は国の直轄事業ではない、地方公共団体固有の事務というところが、独立行政法人にはそぐわないのです。

水津:そういう経緯を知らなかった私や、若いプロパー職員などは、独法に行けたら無難じゃないかみたいなことを考えていたりしていました。その方向は端から無かったのですね。

山田:そういう雰囲気は全くありませんでした。

藤原:国が支援をしながらという関与はあっても、国が下水道事業そのものの事業主体になるのはあり得ないですね。

山田:確かにプロパー職員の先輩からは、なぜ独法になれないのかということを後からも聞かれましたね。プロパーの人にはあまり情報が行っていなかったのかなと。

石引:民営化に行くより、独法になれば安心というイメージが漠然とあったのでしょう。

水津:今でしたら、情報を伝えてきちんと説明すれば、すぐに解決したと思います。しかし当時は、なかなか職員の皆さんに伝わっていなかったから、もやもやとした思いを持っていた人もいたのですね。

矢野:説明の仕方も難しいですよね。独法か民間法人かの話だけであればいいんですけれども、それ以外の話は複雑ですので。

石引:地方共同法人とは何かということも、明快な説明ができないのです。

矢野:われわれも情報が限られていましたので。

石引:今のJSは、そういう社内への広報がきちんとされていますので、今ならスムーズに周知できたと思いますね。

地方共同法人への移行

水津:最終的には、平成13年12月に出た特殊法人等整理合理化計画に向かっていくということになったのですね。

矢野:地方共同法人という概念が民間法人化の概念に含まれるかどうかという論点がありました。国が関与しないとすれば、地方が運営する組織は全国唯一ではなくなるのでは、事業団法も維持されなくなるのでは、といった疑念もあり、地方共同法人とするのは反対で、民間法人のままの方がよいかもしれない、というような議論もあったと思います。地方共同法人の概念が示されない中、全く別ものだったらこれはちょっと容認できないとか、さまざまなやり取りがありました。しかし、最終的に、地方共同法人は民間法人化の概念に含まれるという見解が示されました。そもそも地方共同法人という用語も無かったですから。

水津:用語が無いがゆえに、地方公共団体が共同して行う事業あるいはその法人という表現がされており、誤解や誤った報道につながったのですね。

矢野:その後も地方共同法人の概念がなかなか示されなかったのです。

藤原:地方自治体側にもアンケートやヒアリングを行って、法人改革の検討の経過を現地に行って首長さんにお話したりしているうちに、地方共同法人がこういう組織だったらうまく折合いがつくという見通しが見えてきました。

水津:地方共同法人化がだんだん見えてきたという感じだったのですね。国の関与も若干ありつつも、出資金はなくなるという話も含めていろいろと調整がなされていきましたが、受託建設事業、エース事業、研修および技術開発事業といった、それぞれに業務についてはいかがだったのでしょうか。

矢野:特殊法人等整理合理化計画では、エース事業が廃止され、地方公共団体に移管するとしっかり書かれていました。エースの廃止は残念でしたが、地方共同法人の概念が明らかになり、それ以外の業務は守られたと思いました。

水津:エース事業廃止は、特に既存施設の地方公共団体への移管ということで、衝撃が大きかったのではないでしょうか。

矢野:要請団体もどのような手段や措置で移管されるかと危惧していたと思います。

水津:特殊法人等整理合理化計画には、JSの組織のどこがどう変わるのかということは明記されていなかったのですね。

【資料】「地方共同法人」について
 平成13年12月19日に閣議決定された「特殊法人等整理合理化計画」では以下のとおりとされている(以下、抜粋)。

Ⅲ特殊法人等の改革のために講ずべき措置その他必要な事項
1. 趣旨(略)
2. 民営化
(1)基本的考え方
事業の採算性が高く、かつ、国の関与の必要性が乏しい法人、企業的経営による方が事業をより効率的に継続実施できる法人又は民間でも同種の事業の実施が可能な法人は、原則として民営化する。
(2) 特殊会社(略)
(3) 民間法人化された特殊法人・認可法人(略)
(4) 完全民営化(略)
(5) 地方共同法人(仮称)
イ. 地方公共団体の共通の利益となる事業等、その性格上地方公共団体が主体的に担うべき事業であって、国の政策実施機関に実施させるまでの必要性が認められないものの実施主体の選択肢の一つとして、当該特殊法人等 を地方公共団体が主体となって運営する「地方共同法人」(仮称)とすることが考えられる。
ロ. 法人格は民商法又は特別の法律に基づく法人とする。
ハ. 国又はこれに準ずるものの出資は、制度上及び実態上受けない。資本金が必要な場合には、関係地方公共団体が共同出資する。
ニ. 法人の役員は、自主的に選任されるものとする。
ホ. 法人内部に、必要に応じ、関係地方公共団体の代表者が参画する合議制の意思決定機関ないし審議機関を設ける。
ヘ. 上記イのような事業について、地方公共団体の意向等を踏まえ、実施主体として他の組織形態を採用することも選択肢となりうる。

山田:地方共同法人というのは、当時としてはJSにしか該当しない言葉だったので、JSの業務形態を尊重してこういうネーミングになったのだと思っています。

藤原:廃止となるのは、エース事業だけで、それ以外はこれまでの枠組みを継承するということだと理解しました。

水津:国またはこれに準ずる者の出資は制度上および実態上受けない、関係地方公共団体が共同出資する、ということも同計画ではっきりしたのですね。国の出資は無いが、地方共同法人ということで、地方公共団体の出資は残すということですね。

矢野:国からの出資金に固執しすぎて、JSが大事にすべき、地方公共団体の補完代行機能を失うことがないようにしよう、ということは当時役員から伝えられていました。

水津:特殊法人等整理合理化計画が出て、JSの特殊法人改革室は解散したのですか。

山田:2002(平成14)年の1月に解散して、1回は解散してプロジェクトチームに移行しました。

矢野:名称は変わりましたが、当面は藤原さんがリーダーという仕組みは変わりませんでした。

藤原:ただ、チームの仕事をする人たちは、組織全体の中に横断的に配置されました。

山田:特殊法人改革室が解散して、私は秘書室に異動になり通常業務に戻されたのです。その後、国交省の下水道部内に事業団改革検討室が設置されました。上村下水道企画課長を筆頭に、三浦課長補佐、山崎法規担当係長、杉田事務官といった陣容でした。そこに、6月17日付で矢野さんと私が派遣されました。

矢野:私と山田さんが国に派遣された一方で、本社側に藤原さんと石引さんがいらっしゃいました。私たちは、本省で法律改正に向けて法規係がつくる法案の原案をチェックし、内閣法制局へ説明するためのJS概要資料、その後必要になる国会答弁集の作成などをしていましたが、藤原さんと石引さんにかなり協力していただきました。

水津:国の出資をどうやって返すかといった課題はどうされたのでしょうか。

矢野:これまでの政府出資金というものはなかったことにして、政府出資金相当の累計額から減価償却や除却等がなされた金額分を除き、10年で分割して国に返済するというということになりました。

水津:国および地方公共団体は事業団の業務の円滑が図られるように適当と認められる人的および技術的援助など必要な配慮を加えるものとすると書いてあります。これが人の派遣のことでしょうか。

矢野:JSが技術者のプール機関である所以の条文で、旧の条文から第28条に変わらず残っています。地方共同法人になっても、国や地方公共団体がそれまでと同じかたちでJSに派遣できるのか、人事院や総務省の人事部署など協議に行きました。どのように条文が残されていれば、今の人の派遣のしくみが維持できるのかを確認するためです。
 その他にも、JSの位置づけが「国みなし」から「地方公共団体みなし」に変わることになり、これまでのJSの仕事の仕方に変更が生じないようにしなければと、施行令に記載されている準用法令に関して、ひとつひとつ山田さんに確認をしてもらいました。建築工事における建築基準法の手続きもそのひとつです。
 内閣法制局には、三浦補佐や山田さんなどと何度も足を運び、地方共同法人のメルクマールに沿って、法律の条文がどうなっているかという細かい部分まで指導をいただきました。ご指導いただいたのは、後にJSの副理事長となる山崎篤男さんでした。

水津:改正事業団法で特徴的な条文はありますか。

矢野:下水道部の改革検討室に入った初日に、上村課長から、「今回の法改正は地方共同法人の概念に合うよう、今の条文から国の関与の部分を引き算する作業だ」と言われました。厳しい状況下で新たな条文を追加するものではないことは理解していましたが、実は唯一、足した条文があるのですね。ここは藤原さんの大きな貢献があります。新たに第40条として会計検査の受検ができる条文の追加を提案されたのです。

藤原:簡単ではありませんでしたが、単独で会計検査に対応できない小さい自治体もありますからということになりました。

【資料】日本下水道事業団法の一部を改正する法律案
(平成14年10月18日に閣議決定の後、第155回国会に提出、衆議院、参議院ともに賛成多数で可決、成立。決議に当たり付帯決議が附された。成立は平成14年12月11日)
・ 日本下水道事業団に対する国の出資の廃止
・ 事業団の役員に関する自主的選任等
・ 評議員会の位置づけの強化
・ 下水汚泥広域処理事業の廃止等
・ 財務及び会計に関する国の関与の縮減
・ 会計検査院の検査
・ 平成15年10月1日から施行

水津:国の出資がなくなると会計検査を受けるという会計検査院法の根拠がなくなってしまうので、JS が受けられなくなり、今まで地方公共団体の代行で受検してきたことができなくなるということですね。最終的にこの会計検査を引続き代行できることになったのは、現在、重要な営業要素になっているので、大きな成果を上げていただいたと思います。

矢野:このことは下水道部の法規係でも気づかずにいましたので、重要な提案をいただいたと思います。最初、これを受け止めた法規係では、足し算になる条文を内閣法制局に上げていくことについて懸念を示していました。しかし、内閣法制局に相談に行ったところ、山崎参事官から「JS が自ら望んで会計検査を受検するという厳しい役割を受け入れるということは今世間からの逆風にさらされている法人の取り組みとして素晴らしいことだ」と言って即時に認めていただいたのです。意外な反応でしたが、大変有難いご判断をいただいたと思いました。

水津:次に、兵庫県と大阪府へのエース事業移管についての調整もまた難問だということですが。

矢野:平成15年の概算要求当時、国交省の都市・地域整備局長が、後にJSの理事長になる澤井英一さんでした。移管にあたり、兵庫県と大阪府の債務負担を少しでも軽減するために、澤井さんが財務省の理財局に繰上償還の交渉に行かれたのですが、この時はメリットが少ない補償金付きでないと認められない、ということでした。
 その後、対象法人の法案を臨時国会で一括審議する特殊法人等改革に関する特別委員会が11月8日から開会されることになり、是が非でもそこに向けて法案をあげていこうというのが局の方針のようになっていました。
 しかし、全国知事会が、エース事業の多額の債務を残したままJSが地方共同法人に移行することは、まかりならぬ、という反応を示しました。整理合理化計画では、「地元地方公共団体との調整・協議を経た上で移管」と配慮されていますが、移管できる目途が立たないと、法律の施行期日も示せず、法案提出もできない状況でした。
 この頃から、当時の曽小川下水道部長以下下水道部の幹部とJS幹部を中心に移管スキームに関して議論を交わしていくこととなりました。JS側は当時の石川理事や上ノ土計画部長、金井上席調査役、石田広域処理課長、JS出向の三宮代理、プロパーの永谷さんで、私は下水道部のメンバーとして同席していましたが、JS の皆さんは地方負担の軽減となる様々なケースのシミュレーション作業を毎日練り直し、翌夕方に下水道部長のところに持ってくるというのが連日連夜となり、かなり疲労困憊されていました。出口の見えない状況が続く中、方針としている期限に法案提出が間に合うかどうかの瀬戸際のところで、下水道部も焦りを感じていたと思います。
 そうこうしている中で、突然、総務省から地方財政措置がなされるという方針が聞こえてきました。どのような経緯でそうなったのか、私はいまだに把握していないのですが、国交省の方々の様々な局面での尽力があったのではないかと思っています。
 そこからはとんとん拍子で事が進みます。財投残債務を府県に承継することを基本とし、国庫補助金相当を除く資産額に相当する部分について府県に地方財政措置をする、という移管スキーム案が下水道部とJS とでまとめられました。
 このスキーム案をもって、曽小川下水道部長をはじめ、当時の本省下水道部の谷戸事業課長、塩路町村対策官、岡久事業調整官が、それぞれのやり方で当面の移管先とされていた兵庫県との交渉に当たっていただいて、エース事業の移管スキームが成立したのでした。

水津:2001(平成13)年1月の特殊法人改革室から2003(平成15)年10月の地方共同法人移行まで、エース事業の2003(平成15)年3月の兵庫県移管、その1年後の大阪府移管まで一気にという感じでしたか。

矢野:兵庫県の移管までは一気に進んだ感じですね。法案提出が終わると、谷戸事業課長に呼ばれ、一緒に局長室で同席し、澤井局長と国会質問の答弁内容を推敲する機会をいただきました。施行令の改正作業などは残っていましたが、これで一段落した、という実感が湧きながら、談笑させていただきました。
 法律改正等の閣議決定が平成14年10月18日、兵庫県へのエース事業の移管が翌年の3月で、この間の移管の事務作業も結構大変だったのです。私は下水道部からもとのJS広域処理課に戻って、石田課長のもと、三宮代理、永谷さん、大阪府から出向の柏原さんの4人の課員で取り掛かったのですが、前例もない作業でした。大阪支社の事業部でも膨大な資産整理や残務整理、引継ぎ準備などで大変だったと思います。三宮さんは、「しんがりの役回りは、何事も重要な仕事」と清算業務を歴史上の出来事に例え、尽力されていました。
 移管協定書の作成や債務承継額の調整が最も大変で、これを担当していた永谷さんが兵庫県との折衝に粘り強く丁寧な対応をされていました。
 また、兵庫県は維持管理を行う体制が急には整えられず、移管後1年間はJSが維持管理を受託することになったのです。これがJS維持管理受託の第1号と思います。契約手法はエース事業の手法をそのまま使いましたが、維持管理の協定書や実施要領、監督・検査要領なども、維持管理受託としての規定はほとんど無かったので、慌てて整備しました。これらの考え方は、後の磐田市などからの維持管理受託にも生かされました。
 3月の移管事務作業の目途が立ったところで、石川理事が広域処理課に来られ、「皆、大変よく頑張ってくれた」と課員全員に居酒屋で奮発し、労をねぎらっていただきました。

現在の体制の基礎となる器ができた

水津:今、思い返すと本当に難しかったのは、どういうところでしたか。

藤原:ストーリーが決まらないまま始まって、ゴールが見えない中、手探りで進んで行ったということですね。ゴールがある程度決まっていたり、過去の事例に倣っていけばいいというわけではなかったので、かなりしんどかったですね。しかし、公務員人生を振り返ってみると、似たような課題は結構あったので、その点ではそういう経験ができたことは良かったと思います。

石引:先が見えなかったです。そうした中で、結果的にJS本来の使命を再確認できた、地方公共団体の意向をアンケートなどで確認できたというのが一番良かったと思っています。

藤原:JSの価値と方向性が、見えてきましたからね。
 地方共同法人化という形で、結果的にはJSの使命が再確認できたようなかたちになったわけですから。

石引:JS内部では本社の権限の一部を、東西二つの設計センターと7総合事務所に移行しましたね。移行はスムーズにできましたか。

矢野:地方共同法人となることが決まった頃、受託事業費は減少傾向が予測されていました。本社調査役で着任された野村さんが業務改革チームのリーダーとなり、第1期の中期経営計画の策定を任されました。私もそのメンバーでした。野村さんの強力なリーダーシップと調整力で、大胆に組織再編がなされ、今の7総合事務所、2設計センターの体制となりました。地方共同法人化というからには地方に近づいていきましょうということで、ワンストップサービスを担うPMRを7総合事務所にそれぞれ配置することとなりました。一方で本社機能を権限委譲とともにスリム化し、契約職も東西本部長に分割するなど、組織をフラットにして意思決定をスピーディに、地方共同法人としての機能の体現化は、そういったところから始まりました。

石引:私がJSにいた当時、職員の皆さんがお客さま第一という感覚を持っているのが素晴らしいなと感じました。

矢野:その後も、自立的な経営というからには、経費の節減など目に見えるものだけではなく、職員の生産性の向上、コスト意識の醸成にも取り組もうということになり、個人目標と人事評価制度が導入されました。事務所毎などで組織目標を立ててもらい、個人目標と連動させていこうという動きもそれ以降出てきました。

水津:自立化という地方共同法人のベースにそこがあるのですね。

矢野:地方共同法人化を契機に、少しずつそのように変わっていった感じはしますね。

山田:地域ごとの採算性を見える化しようといった発想でした。

矢野:総合事務所毎の採算性もそうですし、品質向上や地方公共団体のアンケート結果なども総合的に評価して、7総合事務所で競争してもらうということで、かなり本社であおり過ぎかたもしれませんが、そういった取り組みも行われました。国の関与が弱まり、JS 独自の発想で色々な取り組みができるようになったと思いました。

水津:今につながる多くの出発点が地方共同法人化だったのですね。

矢野:地方共同法人という器ができ、その後、中身がその時代に合うように徐々に成熟してきているのではないかと思います。今の現役職員も良いプランをつくってくれています。

山田:地方共同法人になったことで、その後の国の行革の議論に巻き込まれずにJSの本来業務に専念できたという意義があったと思います。また収益や経営を意識し、赤字を出してはいけないことに対して組織として一番シビアなのはJSだと外部の方から言われたことがあります。

藤原:JSはお客さんからの受託事業が収益のメインで、ある程度決まっていることもありますし。

矢野:法人改革の議論が始まった頃は、ここまで全国の下水道技術者が減少するとは想像していませんでした。受託事業の必要性を訴える際に、ここまで減少するというデータがあれば、JSの機能の重要性に関して、より説得力のある説明ができたのではと思います。

山田:それもまた説明の難しさかもしれないですね。

矢野:法人改革の頃はまだ新設事業が中心で更新事業のシェアは少なかったので、ある程度、下水道の普及が進んだらJSの使命は終わるのでは、ということも指摘されていました。

山田:災害対応も今ほど重視されていませんでした。

水津:特殊法人改革室の努力が今のJSの組織構造につながっていると、お話を聞いて改めて実感しました。一時期、赤字になったこともありますが、事業費額も現在は年間2000億円程度に回復し、非常に順調な状況で推移しています。このようなJSに対してご意見をお願いします。

石引:法人改革室で行ったアンケートの意義が大きかったので、今後も顧客満足度を調査するアンケートを続けて欲しいですね。

水津:クレームの兆候を察知して対応するというのは重要ですから、顧客満足度の調査は大事ですよね。

藤原:私はJSを離れてから、さまざまな仕事に携わりましたが、ちょっとした変化の兆しは、しばらく経つと大きい問題になるというのは、どこの組織でも感じました。ですから、変化の兆候があったら、一人ひとりが対応を考えていくのは大事なことではないかと思います。

石引:改革という言葉は過激ですが、改革のきっかけになる変化を捉えて、時代にうまくマッチングしていく組織のマネジメントにつなげていくことは大切です。法人改革室での経験が、その後の仕事にずいぶん役に立っており、大変感謝しています。

矢野:今は5年に1度、中期経営計画を策定して、その時々の社会情勢に応じつつ、地方公共団体の多様化するニーズに応えられるような仕事の仕方に変えてそれにチャレンジしていく、常に変化しようとしていくJSは素晴らしいと思います。それに応え続けていく職員は大変だと思いますが、体に気を付けて頑張ってください、と最後に職員の皆さんにエールを送ります。

山田:法人改革では、JSが今後どういう枠組みになるのかを問われました。この間、一貫して地方公共団体は、JSの機能が維持されれば枠組み、組織形態にこだわらないという考えでした。私自身が思ったのは、JSの使命というのは、最終的には外からはめられた枠に規定されるのではなくて、やはり中で働いているわれわれ自身がつくり上げて内実が伴ってくるということです。つまり、職員一人ひとりが下水道のために役に立ちたいという熱意があり、それに伴う働きがある限り、JSの使命は自然と宿るのかなと私は思っています。日々の仕事の中身を充実させることが、まずやっていかなければいけないことです。

【資料】日本下水道事業団の業務・組織のあり方に関するアンケートについて(概要)
特殊法人等改革の議論が進められる中で、事業団の設立発起人の母体であり、顧客でもある地方公共団体の意見が反映できるよう調査すべきとの提案を踏まえ、事業団の業務・組織のあり方に関して調査が実施された。
○ 調査実施主体:評議委員会会長(梶原岐阜県知事)
○ 実施期間:平成 13 年 11 月 6 日~ 12 月 3 日
○ 調査対象と回答数:1602団体(全都道府県知事(47)、全市町(671)、委託実績を有する地方公共団体の長(都道府県・市以外、町村長 884))、1,297 団体(回答率 81.0%)
○ 調査項目
・日本下水道事業団の組織形態に関する事項:「地方公共団体が事業団の運営に責任を負う」こと、事業団の民営化や独立行政法人化について
・日本下水道事業団の業務のあり方に関する事項:委託して良かったこと、不満であったこと、(都道府県のみ)管内市町村の下水道整備に果たした役割について評価していること、不満であったこと、研修事業、技術開発事業や今後の業務のあり方について

調査結果(一部抜粋)
これら調査は多岐に渡っているため、ここでは、いくつかをピックアップして調査結果を紹介する。
・組織形態に関する事項のうち「民営化」については以下のような結果となった。
調査結果
・業務のあり方に関する事項のうち委託してよかったことについては、以下のような結果となった。
日本下水道事業団 30 年のあゆみ
(参照文献)日本下水道事業団 30 年のあゆみ

水津:ありがとうございました。本日はJSの地方共同法人化にあたり、実務に携わった皆様から貴重なお話をお伺いしました。創立50周年を迎え、地方公共団体の共通の利益となる事業を実施する地方共同法人として、JSはこれからも日本の下水道事業を支えていきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。

 (参照文献)【資料】については「日本下水道事業団30年のあゆみ」を参照

座談会を終えて

研修センター所長 水津 英則
今回、特殊法人改革について振り返る機会をいただき、久しぶりに法人改革室の皆様とお会いできまして、たいへん有意義な時間を過ごせました。自分は当時経理課にいて、エース事業の移管は本当に大変だったと記憶しておりますが、法人改革室と連携させていただき、資料作成等をご一緒していました。今回の座談会では、職員にはよく伝わっていない裏話なども出てきましたので、ぜひご一読いただければと思います。