地方共同法人 日本下水道事業団

メルマガ Mail magazine

50周年記念行事等準備室通信 第7号

これまでを振り返って・・

事業統括部計画課 工内 由香

ついに東京進出しました、事業統括部計画課の工内です。今回、執筆依頼を頂きまして、入社してこれまでの 8 年と半年と振り返ってみることにしました。
平成 22 年に入社したときは 20 歳で、西企画調整課で勤務していました。慣れない社会人生活に四苦八苦していましたが、楽しく過ごしていたような気がします。
平成 23 ・ 24 年は西土木設計課でしたが、初めて会計検査を受けたり、発注作業や年度末の設計変更に追われたりと、今までで 1 番しんどかった記憶が・・。そんな中でもチューターだった大阪市や広島市の方と 21 時から飲みに行く元気はありました。現在、指針改定委員会や歩掛改定委員会でお二人に会う機会が多く、「あの頃は大変だったけど楽しかったね」などと思い出話に花を咲かせながらまた飲んでいます。
平成 25 ・ 26 年は西計画支援課で、出張の嵐に身体がついていかず扁桃腺が腫れることもしばしばでしたが、自分の思い通りに仕事がで きるので、とても楽しかったです。最初は多種多様な業務内容を理解することが難しく、決まった結論もないのでこの方向性で大丈夫だろうか、と不安でしたが、ある程度内容を理解すると、計画を作る楽しさが分かり、やりがいを感じながら仕事に取組むことができました。一人出張でお気に入りの曲をかけながらレンタカーを運転することも楽しかったです。
平成 27 ・ 28 ・ 29 年は大阪湾事務所で、日焼け止めを年 4 本使用していました。ここではシールド工事とポンプ場の新設工事の施工管理を行いましたが、ポンプ場では大規模設計変更を幾度も行い 、山積みの問題にさらに問題が重なっていく状況が延々と続きました。対する受注者さんは、じゃりン子チエの世界から飛び出してきたかのような浪速節の方々で、中々付き合い方が難しかったですが、設計時では検討できない現場ならではの計算手法等教えて頂き、とても勉強になりました。
平成 30 年から事業統括部計画課に配属となり、東京に異動が決まった時は「寝耳に水とは正にこのこと!」でしたが、相変わらず月 1 徳島に帰省し、楽しい日々を過ごしています。 JS の全体像や下水道業界を取り巻く環境を何となく掴むことが出来、 JS の将来を考 える機会が増えました。
JS に入社して 8 年と半年、色々大変なこともありましたが、振り返ってみるといい経験だったなぁと思えます。嫌なことをさほど覚えていないのは、ポジティブな性格もありますが、周りの人に恵まれているからだと感じます。プロパーは勿論ですが、出向者の方、コンサル、受注者、皆さんから多くのことを学ぶことができました。大して勉強のできない私がここまで不自由なく仕事が行えたのは、周りの皆さんの支えがあったからだと思います。
また、下水道業界は女性が少なく、皆さん優しくしてくれるので、今まで女性だからといって苦労することはありませんでした。以前 GJ 活動で各自治体の方と意見交換をしましたが、私がいたグループでは「男性が働きやすい職場であれば女性も働きやすい」という結論に至りました。男性も女性も個人によって考え方や働き方、適材適所等異なるので、結局組織や上司がどこまで個人の特性を見極められるのか、によるのではないかと思います。その中で必要な制度、環境を整えていく必要があると感じました。
来年、私もついに入社10 年目を迎えます。目の前の仕事をコツコツ行うだけではいけない年数に差し掛かりましたので、 JS の将来 を見据え、自分の立ち位置を把握し、周りをフォローしながら働きやすい環境が作れるよう、努めていきたいです。

これまでと現業務について

国際戦略室 金子 由美

私は平成25 年度に入社し、今年で 6 年目になります。初めにこれまでの所属部署を紹介します。平成25 26 年度は東海総合事務所施工管理課(平成 26 年度 併運営管理支援課)、平成 27 28 年度は西日本設計センター計画支援課に配属され、入社後の 4 年間は処理場を見に行く機会も多かったです。平成29 年度に本社計画課に配属され、夏に 10 週間の英会話研修に参加し、平成 30 年度に国際戦略室に異動になりました。異動した初年度は特に、それぞれの部署での業務の進め方や必要な知識の習得が大変でしたが、周囲の方のおかげで何とか無事に業務をこなしてこられました。
本稿で何を書けばよいのかとても迷いましたが、現在、国際戦略室で従事している業務の中から、2 件紹介したいと思います。
国際標準化業務は、汚泥処理技術の国際標準化について、情報収集を行い、本邦技術の海外展開におい て有利となる ISO 規格案及び対処方針等を検討する業務です。初めは、 ISO 用語が分からず、大変でしたが、最近はやっと基本的な用語にも慣れてきたところです。まだまだ知らないことが多いのですが、最近は、 ISO をほとんど知らない方に活動内容をどのように説明したらよいか悩むこともあり、 ISO の世界は奥深いと感じています。また、本業務では外部の方と関わることも多く、仕事の進め方についても大変勉強になることが多いです。
JICA 研修では、今年度、「下水道の基本計画」の講義を初めて 1 人で担当しました(写真)。 3 時間も講 義をできるのかとても不安で、かつて初めて委託団体に協議に行った時と同じぐらい緊張しました。
しかし、研修生の方がとても熱心に聞いてくれて、講義内容について様々な質問があり、講義当日はあっという間に時間が過ぎていきました。質疑応答の中で、計画支援課時に関わった計画業務の具体的な事例についても話すことができた後は、比較的リラックスして話すことができました。

これまで日々の業務をこなすことでいっぱいで したが、今回メルマガ寄稿の機会を頂き、何を書こうか、し ばし入社してからこれまでを振り返ることができました。今 後は JS が50 周年を迎えるとき、その 10 年後、 20 年後 JS がどのようになっているのか、時には思いを巡らしながら 日々の業務に取り組んでいきたいと思います。

写真 JICA研修の様子

私と旅

西日本設計センター 建築設計課 谷澤 智子

みなさんは、「兼高かおる世界の旅」というテレビ番組があったことをご存知でしょうか?
ご存知の方は、きっと昭和生まれですね。私が物心ついた頃には、すでにこの番組は日曜日の朝の人気番組になっていました。♪ 80 日間世界一周♪のテーマ曲が流れると、幼い私も何かわからないワクワク感と共にテレビにかじりついていました。レポーターの兼高かおるさんが世界各国に行き、ときには国家元首や有名スターに会ったり、珍しいお祭りや風習を紹介したりと、現在の旅番組のさきがけのようなものでした。この番組のスポンサーだったパンナム( PAN AMERICAN のスチワーデスさん(その頃は、 CA とはいいいませんでしたね)も素敵 でした。こんな仕事があるのかと憧れました。
レポーターにもスチワーデスにもなっていない私ですが、旅が大好きです。
ここからは、私の旅の話を少し・・
青い空と海、甘い香りの風が椰子の木を揺らすハワイですが、その時は異常気候といっていいほど雨が降り続いていました。スコールのようなものではなく、日本の梅雨のようにずっと雨が降っていました。ホテルから見える海は、大量の土砂が流れ込んで茶色に濁っていきます。町の側溝の水はあふれて道路を流れていく状態で、歩道も滑って危険です。せっかくハワイに来たのに足元ばかり見て歩いていたので、すっかり歩道のタイルの模様を覚えてしまいました。
常夏のハワイですので、町は長雨には弱い造りなのですね。しかし、今後はこのような異常気象に備えていかなくては、安心して暮らすことも旅することもできませんね。
スコールというとベトナムを思い出します。ホーチミンに雨季に行った時には、日に一度はかなり激しく雨が降ります。ですが、傘 をさす人はすごく少ないのです。名物のシクロ(自転車と人力車を一緒にしたような乗り物)の運転手さんは、すっぽりと合羽をかぶりますが、他の人はというと近くの建物の軒先に一斉に避難するのです。さっきまで道路を埋め尽くしていたバイク、自転車、牛、人達が、しゅーっと引いていくような感じです。それから、10 分・・ 20 分・・ 30 分・・雨が上がった瞬間に軒先から路地から人とモノがあふれ出して道路は元に戻ります。
数日後には私もスコールの間は軒先に避難して、雨がやむまでベトナムコーヒーを飲むようになっていました。郷に入れ ば郷に従えですね。
下水道事業団のメルマガですのでトイレの話も・・・
インドネシアやタイでは、トイレットペーパーを流してはいけないトイレが多かったです。使用済みのペーパーはブース内のごみ箱に入れますが、すぐにいっぱいになりますし、やはり臭いが気になります。バンコクの大きなショッピングモールのトイレに入った時のことですが、以外にも和式だったのですがどちら向きに使えばいいのか悩みました。後ろに並んでいる方に、ドアに向かって使うのだと教えてもらい驚きました。

ちょっと怖かったトイレは、ベトナムのニャチャンで行った崖の上の食堂のトイレです。トイレは、小さな鉄骨階段を崖に沿って中ほどまで下りた所にある小さな小屋です。床に空いた穴からは、月が照らしだす夜の海が見えました。周りには、月と星の明るさを実感できる暗闇がありました。
欧米のトイレの便座は、私にはかなり高くて座ると爪先立ちになるか、足がぶらぶらします。そして造りが日本の物とは違いドアの隙間が大きくて、ブースの外にいる方と目が合ったりします。
ドアだけでなく隣のブースとの間仕切り壁も、ひざ下が見えるくらいあいていることが多いので、お隣が気になって落ち着きません。
事業団の仕事での出張も、車窓からの景色を楽しんだり、ランチにご当地名物を食べたりと楽しんでいます。先日は、電車でお隣に座られたオーストラリア人のご夫婦と、富士山の写メを見せ合い、いかに美しい富士山の写真を持っているかの自慢をしあうという楽しい時間を持てました。
また、最近よく行く山口は、瀬戸内に浮かぶ島々が美しくてホッとします。周防大島の海岸線を車で行くときに、ハワイのオアフ島の東海岸のようだと感じたことを友人に話すと、周防大島にはハワイ移民資料館があ り、カウアイ島とも姉妹都市になっていると教えてもらいました。
いつも快晴ではないし、困ったことや腹がたつこともあるのが旅です。
しかし、大雨の後に見た特大サイズの虹や、首が痛くなるまで見上げていた星空、天井に張り付くゲッコーをまた見たいと思うのです。
私に旅という楽しみを教えてくれた兼高かおるさんは、その番組でレポーター、ナレーター、プロデューサー、デレクターをこなしていたそうです。
現在のように海外旅行が一般化するずっと前、女性の社会進出ということも難しかった時代に、旅行ジャーナリストとして世界 を飛び回っていたのです。
それは、番組の英語名“Hopping Around The World そのものです。
私も彼女のように、尽きない好奇心と探求心そして行動力を持って、いつの日か軽やかに飛び跳ねるように仕事ができればと、尊敬し憧れ続ける彼女の訃報を聞き、改めて思う今日この頃です。

50周年を一過性のお祭りにしないために

50周年記念事業等準備室長 水津 英則

5 0周年記念行事等準備室長の水津です。先日 、 日経BP総研が開催しました周年事業セミナーに参加い たしました。日経BP総研は、いわゆる○○周年を機に、 新規事業・サービスを創生したり、ブランディングやリクルーティングに役立て、社員のモチベーションを向上 させるための 具体的なソリューション 事業、例えば○○周年誌の 編集会議ワークショップや○○周年に当たっての企業の戦略・企画のサポートといったことを行っており、これを「ネンデマンド」と名付けて展開しています。今回のセミナーについては、準備室員の中島さんから開催について教えていただきました。室員のお2人には50周年に向けて、様々な角度からいろいろと積極的に調べていただいておりまして、本当に感謝です。
今回参加したセミナーは「 何から手をつければいいか分からない」「前回行った周年事業が失敗だった」「会社の成長につながる周年事業は何か」など、 企業の節目である周年事業について 悩みや課題を持つ担当者 に対して、「周年事業の成功事例」として、大丸松坂屋百貨店、パナソニック、森永乳業、サイバーエージェントの具体的な事例と成果をパネルディスカッション形式で紹介するものでした。各社がどのような周年事業を行ったかを順に紹介させていただきます。
※以下の記載は、私の聞き取りによるものなので、誤りがあるかもしれませんことをあらかじめご了承ください。

1.大丸松坂屋百貨店(300周年)

・お客様・地域・社員に「 感謝の気持ち 」 を伝えることを目的とした。
・スタートは2年前からで、 事務局 を 組織 せず、 営業企画室の販売促進 担当と MD 戦略推進室の担当者を中心に、 現場 発の 意見や企画を形にした。
・「感謝」に特化し、このプロジェクトに限り投資に対するリターンを求めないこととしたことで社員に一体感が醸成された。
・社員全員が周年事業を自分のことと思ってもらうために、各店舗に「感謝の大樹」を設置し、その周りに店舗職員からのお客様に対するメッセージを記載した。
・新ビジョンを浸透させるためにチャレンジワークを募集(年間3000件ほどの発案)し 、この中から具体的に実行するイベントを決定。

(そら植物園 HP より)

実際に行った主なイベントは以下のとおり。

①京都祇園町屋プロジェクト
地域の資源(町家)を生かし、有名ブランドを誘致し、歴史的価値の保存と次世代への継承を目的に地域貢献 するプロジェクト。
エルメス、ウブロが期間限定で出店している。

J フロントリテイリング HP より)

②輝く100人ポスター
従業員のポスター100枚を作成し、各店舗に掲示。
従業員への感謝と一体感の醸成が目的。

③VOGUE FASHION S NIGHT OUT2017 世界で最も影響力のあるファッション誌『 VOGUE 』の日本版『 VOGUE JAPAN 』 によるショッピングイ ベント 。大丸神戸店を中心に 開催 。 春に FNO を開催するのはイベント設立以降世界初。

④300年クローゼット
300年後までお客様からの預かり物を保管する企画。 「これからの 300 年もお客様一人一人の幸せなお買い物をお手伝いするために存在し続ける」ことを、お客様と約束する覚悟の証。
品物とエピソードを募集して、3 点選び、大丸心斎橋店にクローゼットを新設し、2019年秋から保管・展示。
いろいろと疑問があると思いますが、Q&A が下記にあります。https://300closet.jp/

<大丸の反省点>:メディア戦略をもっとやっておくべきであった。

2.森永乳業(100周年

・お客様に感謝を伝えるためのお客様参加型プロジェクトを計画。
・スタートは3年前からで、役員・関係部長による社史編纂委員会で企画を決定した。
・実際に行ったイベント等は以下のとおり。

①ギネス世界記録プロジェクト
デザートデコレーションレッスン更新会場に集まった参加者全員で、レッスンを受けながら同じデザートづくりを行う。 途中で会場を出たら、その人は失格!トイレも NG に 挑戦し、 2,09 5 名でギネス世界記録を 更新した。
チャレンジ前に社員によるイベントを実施し、社員とお客様がコミュニケーションをとる機会を作った。世界記録を更新したので、参加者全員に名前を入れた参加証をその場で印刷して渡した。

(森永乳業 HP より)

②新経営理念、スローガンの制定・100周年記念ロゴの作成
新経営理念、スローガンは次の100年を目指すものとして社内でアンケートを実施し、その意見を吸い上げ、経営層で1 年かけて策定したもの。

(森永乳業 HP より)
(森永乳業 HP より)

記念ロゴは、100 周年を迎えることができた喜び、次の 100 年も笑顔をつくる企業でありたいという想い、そして、おいしいものを食べたときに思わずこぼれる笑顔をデザイン したもの。

③ 社会貢献活動の実施
国内では、 「ビフィズス菌 M 16V (※)」の低出生体重児に向けた無償提供の推進 等、海外 では、 インドネシアにおけるプレスクールの修繕活動への支援 や 「ビフィズス菌M 16V (※)」のオーストラリアにおける NICU( 新生児集中治療室 への無償提供の推進 を実施。
※赤ちゃん のおなかに多くすんでいるビフィドバクテリウム・ブレーベBifidobacterium breve )と呼ばれるビフィズス菌の一種。健康な赤ちゃんのおなかの中はほとんどがビフィズス菌で占められていますが、低出生体重児などではビフィズス菌が定着するまでに時間がかか るため、 「ビフィズス菌 M 16V 」投与によってビフィズス菌が多い菌叢を保つことで、感染症を予防したり、腸の発達を促すことで栄養の吸収を効率よくできるようになったり、免疫機能を正常に発達させたりすることが考えられ る 。

<森永乳業 の反省点>: イベントの参加が全社員ではないため、 職員間で 温度差が生じた。

3.パナソニック(100 周年)

・ A Better Life A Better World の実現に向けて「新たなお客様価値」の創造を目指す。・100周年は次代へ向けた「再スタート」の年ととらえ、次の100年に向けて「人づくり」を実施
・スタートは3年前からで、部課長クラスの PT で開始し、若手中心のタスクフォースチームと海外の地域統括会社の企画担当チームの意見を事務局である経営企画部が整理し、実施。
実際に行ったイベント等は以下のとおり
①100 周年グローバル展示ツアー を世界7地域で 開催し、締めくくりとして東京国際フォーラムで「 クロスバリューイノベーションフォーラム 2018 」を開催。

②パナソニックミュージアムの開館
パナソニック創業者松下幸之助の経営観、人生観に触れられる「松下幸之助歴史館」パナソニックのものづくりの DNA を探る「ものづくりイズム館」、 2006 年にオープンした「さくら広場」で構成 されるパナソニックミュージアムを 、広く一般 に開放。

(パナソニックHP より)

③経営人材の発掘・育成( NEO プロジェクト)
次代を担うビジネスプロデューサー人材の育成と新事業創出のためのプロジェクト。
企画を社内公募し、社外での審査を経て事業化審査を行う。

④A Better Workstyle
社員の働きがいと成長を、パナソニックの成長につなげる働きがい改革を実施。社員一人一人が常によりよい働き方を問い続け、実践し続ける活動。
(ア Better なコラボレーション
組織の壁や既成概念を取り払い、共創する組織
(イ Bett er なワーキングスタイル
場所や時間にとらわれない働き方の実現(テレワーク、フレックス等)
(ウ Better な上司
社員の個性を生かすための上司の発想の改革

これらをテーマとし、「脱スーツチャレンジ」(服装の自由化)、「ユニフォームの刷新」(20年ぶり。社内投票)などを実施。

⑤次の 100 年に向けた人づくりの場「 100BANCH (ヒャクバンチ)」を渋谷に開設
若者のための共創スペースであり、これからの世の中を変える、より良くしていくための提案(商品、事業、仕組み等様々)を毎月募集・審査し、トップランナーのメンター、活動の場、加えてパナソニックの技術・ノウハウや人のサポートを提供する取り組み。すでに 50 くらいのプロジェクトが動き出しており、この場が社員と外部との新たな接点の場となる と考えている。

(パナソニック HP より)

⑥社外留職
入社4年目以上で、現在の部署で1年以上働く社員が対象。希望す る企業で最長1年間働き、自由な発想力や、環境変化への対応力を身につけてもらう。初年度は5人を派遣する予定。

⑦ 社内複業
係長級以上の社員が所属部門に籍を置きながら別の部署の仕事を掛け持ち。デザイン部門の社員が技術部門の業務を兼務することなどを想定。部門の枠を超えた発想や技術開発を期待。

<パナソニック の反省点>: 記録や記憶に残るものを より 実施しておけばよかった。

4.サイバーエージェント(20周年

・ 「 21世紀を代表する会社を作る 」 をスローガンに、終身雇用を実施する観点から、家族に会社を応援してほしいという狙いあり。
・1年前からスタートし、役員会で企画を決定し、 PT を編成。実際に行ったイベント等は以下のとおり。

①家族向け 20 周年誌 等の 作成
家族向け社内報 としての社史 、ブックカバー、マスコット、スケッチブックをセットにしたものを作成し、社員に配布。社史とブックカバーを合わせると21 になる。社史は 1 年を見開き 1 ページで紹介。

(サイバーエージェント HP より)

②20 周年のグループ総会
半年に 1 度各拠点で行 う総会を規模を拡大して開催職員の表彰等を行い、士気を高めた。

(サイバーエージェント HP より)

<サイバーエージェント の反省点>:
幅広い人材 (プロレスラーや J リーガーなど) に共通意識をいかに浸透させていくかが次の課題。

以上、4社の周年事業でした。

この他、企業を成長させる「攻める周年事業」の進め方 というテーマで講演があり、周辺事業は企業の飛躍のチャンスであり、
①ブランド力を高める(認知度向上)
②社内を活性化する(モチベーションの向上、一体感醸成)
③顧客、取引先への感謝を伝える
④人材戦略に活用する(採用、離職率低下)
⑤対外的にアピールする
⑥企業の成長戦略に役立てる
⑦一過性のお祭りに終わらせない
過去 => 現在 => 周年 => 未来へ
といったことを実現することができる機会であること。
また、失敗する事例として、
①目的をしっかり決めていないと失敗する(何のためにやるのか)
②トップがコミットし、社内に周知しないと失敗する
③社員が自ら考えないと失敗する
④最初に全体像を戦略的に作らないと失敗する
ということを挙げていました。

前述4社ほどの経費をかけて行う周年事業は困難かと思いますが、50周年記念行事等準備室では、講演内容を参考にして、経営層と相談しながら目的を明確に定め、職員みんなが参加できるような企画、地方公共団体と家族への感謝を盛り込んだ企画、 JS の次の半世紀を見据えた企画を実現するため、引き続き様々な方向から記念行事を検討していきたいと思います。皆様のご協力を何卒よろしくお願いいたします。

マンホールの蓋は知識への入り口

傭兵 鉄子

傭兵鉄子様プロフィール:
マンホール蓋&腐食金属愛好家/マンホール蓋愛好家主催イベント『マンホールナイト』実行委員/東京都下水道局広報紙『ニュース東京の下水道」にて、鉄蓋に関するコラム「蓋大好き!」連載中(2015年〜)

〈はじめに〉

 世の中にはたくさんの趣味がありますが、その中でも私はマンホールの蓋が好きです。
 マンホールの蓋が好きと言うと「インフラ関係のお仕事ですか?」「建築や設計、工学、物理や化学の勉強をされていたのですか?」とよく聞かれますが、ただの鉄蓋ファンです。
 元々趣味としてインフラに興味があったわけではなく、普段はそれと全く縁のない勉強や仕事をしていて、どちらかというと理数系はかなり苦手な分野。それに以前は、地下にあるインフラ網の存在をあまり意識せず、目に見えるものだけしか見ていませんでした。
 利用者が特に不自由を感じず意識しなくても使えるのは、それだけ日本のインフラ事業が信頼でき安定して機能し生活を支えている証拠だと思います。でも、インフラが機能しているからこそ便利に安心して暮らしているのに、それに携わる方々の努力や日々の点検・補修、技術の進歩や工夫などにはあまり関心がなかったように思います。それらを意識し知ったことで下水道ファンになったのですが、そのきっかけがマンホールの蓋でした。何気ない日常で見かけた鉄蓋がその入り口となりました。

〈鉄蓋大好き!になったきっかけ〉

 マンホールの蓋と一言で言っても素材は色々ありますが、中でも鋳物の蓋が一番好きです。
 私がマンホールの蓋(鉄蓋)に興味を持ったのは今から30年くらい前のこと。
 元々金属が好きで何かと金属製の物に目が行っていたのですが、鉄蓋は風景の一部という認識であまり気にとめていませんでした。目に入っているのに気付いていない、道にあるのが当たり前で見えていない。そんな存在だった鉄蓋を初めて”見た”のは、歩いている時にふと目に入ってきた地元のデザインマンホール蓋(デザイン蓋)でした。
「あれ?マンホールに松の絵なんて入ってたっけ?」と何か違和感を感じ周りにある物と見比べてみると、他は線の模様と文字のみ。「これだけに絵が入っている。踏まれてしまう場所にこんな凝った物を作って置いちゃうなんてすごい!」ということと、その表現方法への驚き。切り絵や版画を彷彿とさせる金属の凹凸を使った美しい手法で複雑な絵柄を表現しているのが素敵だなと思いました。
 こうして気になり始めたデザイン蓋が、実は自分の住んでいる市内にしかないと知ったのは学生時代。きっかけは「自分の町をプロデュースする」という課題でした。住んでいる町を紹介し、その魅力を伝えるプレゼンテーションの発表資料にデザイン蓋の写真も入れてみたところ、友達から「このマンホール、うちの近くにある物と違う」と言われびっくり。
 当時はなぜか、役所が管理している物は全国共通=マンホールも全国共通といったイメージがあり、恥ずかしながら、実は管理自治体ごとに違っていたり管理しているのは自治体だけではないということを後から知りました。それ以来、その場所に行かないと見られないデザイン蓋は、旅の思い出に写真を撮って記録する密かな楽しみになっていきました。

写真「ichikawa.jpg」キャプション

マンホール蓋を好きになったきっかけの当時住んでいた千葉県市川市のデザイン蓋。
市章を囲んで市の木・クロマツが描かれている

〈マンホールブームのおかげ?〉

 旅先で蓋写真を撮るといっても、猫も杓子もカメラやスマホを持っている今とは違い、当時マンホールの蓋にカメラを向けるというのは、ちょっと、いや、かなり人目が気になることでした。それ以前に、街中の物を撮影すること自体あまり一般的ではなかったので、観光地であっても鉄蓋を撮る行為に何となく気恥ずかしさを感じ、人通りが無くなったらサッと撮るといったことがほとんど。おかげでピンボケのものも多く、ちゃんとカメラに収めることができなかったなんてことも。
 勇気を出してカメラを地面に向けても、不審者に見えてしまうのか「何を撮ってるんですか?」「何かの調査ですか?」と、不思議そうに(また、おそらく警戒の意味もあって)声を掛けられたこともありました。
 蓋観察中は近所迷惑や交通の邪魔にならないように注意したり、特に住宅地は難度が上がるので、地元の方や通行人に警戒心を持たれないためにも歩く時は人が写らないようにレンズを下に向けたりしていますが、撮影中の姿はどう見ても怪しさ満載です。迷惑にならないように周囲を気にしている分、逆に目立ってかえって不審度が増してしまっていたかもしれません。
 そんなマンホール蓋趣味ですが、ここ数年メディアで取り上げられたりマンホールカードが発行された影響もあって、それまで細々と局地的な活動だった趣味が認知されつつあり、マンホールブームとなってきています。そのおかげか、最近は蓋撮影をしていてもあまり声を掛けられなくなりました。代わりに「本当にマンホールを撮ってる人がいる!」という視線が多くなった気がします。そういうのが好きな人もいるんだねと認知(黙認)されるようになって、写真撮影がしやすくなってきたのは嬉しいですね。
 十年程前からは、デザイン蓋だけでなく一部では地味蓋と呼ばれている汎用蓋や、明治・大正から戦前にかけて敷設された通称・骨董蓋にも興味の対象が広がり、旅先以外に近場の蓋も楽しむようになったのですが、可愛いデザイン蓋ならまだしも撮っている対象が地味な蓋だと「え、それ!?」と二度見されるのは相変わらず。「中年のオジサンなら分かるけど、女性なのにホント残念だねぇ」と通りすがりのお年寄りにしみじみ言われたこともありました。
 ただ、骨董蓋を撮っていると、「そんな古い物に興味があるの?」と年配の方から物珍しそうに話し掛けられることがあります。それが地元の方ならこれ幸い。地元民ならではの昔のエピソードが聞けたり、市井の人目線で見たその土地の歴史や風土に触れられるまたとない機会です。伝えたい人と聞きたい私。立ち話にも花が咲きます。鉄蓋がきっかけでこうした交流が持てるのも嬉しく、ちょっぴり縁のある場所が増えていきます。わざわざその蓋を見に来る人がいるということで、それまで意識されていなかった鉄蓋が地元の方の目にとまり、「これからは知り合いにも自慢するよ!」と、価値ある物としてスポットライトが当たるのを見ると自分まで嬉しくなってしまいます。
 また、バブル景気の頃に入れられた鉄蓋や管渠の更新時期が迫ってきている昨今、平成の大合併の影響や資金面から今後デザイン蓋はどんどん減っていくだろうといったことを一時期小耳に挟んでいたのですが、マンホールブームのおかげか、ここ数年は逆に新しいデザイン蓋が増えてきているように見えます。当然古い物は無くなってしまいますが、地元の人にもそこに訪れる人からも愛着を持ってもらえるような蓋が出てくるのは嬉しいですね。

〈鉄蓋の魅力って?〉

 マンホール蓋に感じる魅力は人それぞれ。何が楽しいかと聞かれたら、私は「蓋のスタンプラリーと謎解きの楽しさ」と答えています。蓋探しは宝探しに似ていて旅先での楽しみも増えます。
 鉄蓋は学校では学ばないような身近な歴史を教えてくれます。町の歴史や特色がデザインされた”路上の芸術”のデザイン蓋を旅の記念に撮って集めたり、明治・大正時代から戦前にかけて作られ、現存しているだけで貴重な”路上文化遺産”の骨董蓋を見つけて、インフラの歴史を紐解き過去に想いを馳せたり。経年変化による金属の質感に魅了されたり、蓋にある各管理自治体の紋章や文字の形の違いを見比べたり、蓋の隙間から生える植物や苔などを楽しんだり。蓋からもれてくる流水音に下水道に転用されたかつての川の流れを想像したり。愛好家の数だけ楽しみ方があります。
 鉄蓋製造会社や関連事業に携わっている方からすると当たり前なことも、知らない者から見ると魅力的な要素があふれています。
 例えば、蓋表面の絵柄や模様(地紋)。可愛くしたりカッコよくすることが目的ではなく、”滑りにくく割れにくい”といった鉄蓋に求められる本来の機能を保てるように、鋳物の凹凸を工夫した結果であること。まさに機能美だなと思います。何で凹凸で表現しているんだろうと疑問に思って調べ、必要だからそうなっていると分かってからはますます気になって観察するようになりました。同じように見える凹凸にもメーカーや作られた時代によって違いがあったり、磨耗の仕方が変わってくるのも面白いです。
 また、種類や管理・所有を示す市町村や各インフラ、メーカーの紋章、使用用途ごとの特徴を持った地紋。それも最初は何なのか分かりませんでした。調べるようになってからもたまに不明な蓋に遭遇します。それが何を示しているのか調べていく面白さ、謎解きの楽しさがあります。特に古い蓋には、合併などでもう存在しない自治体や今は使われていない会社や組織などの紋章が入っているので、調べていくうちにインフラの歴史を紐解く面白さにハマっていきます。
 今では資料室や社史でしか見られなくなった紋章もたくさんありますが、鉄蓋にはそれが残っています。鉄蓋に入っている文字や紋章の変遷はインフラの歴史。マンホールの蓋は手に触れられる身近な歴史の文化資産だと思います。
 材質の違いも興味深いです。特に骨董蓋。現行の蓋は安全面や耐久性などからダクタイル鋳鉄製の物がほとんどですが、ねずみ鋳鉄製の鉄蓋もまだあります。踏まれて磨かれた蓋は、太陽や街路灯の光を受けてギラリと光る質感がとても魅力的。本来は敬遠される表面の磨耗もその土地の人の営みを刻みつけていて、街並みがどんどん変化する現代に残された時代の生き証人のよう。同じ蓋を踏むことで昔の人との繋がりや過去へのロマンも感じます。
 腐食の進み具合も磨耗の仕方も置かれた環境によって変わってきます。工業製品なのに場所によって違った表情を見せてくれる鉄蓋。敷設された時は当たり前のように存在した蓋も時の流れで更新されますが、奇跡的に残された一枚が貴重な資料になることもあります。とはいえ安全面からいつかは更新されてしまう運命。鉄蓋にはそんな儚さと強さを併せ持った魅力があると思います。
 では、デザイン蓋でもなく古くもない汎用蓋には魅力が無いのかというと、そんなことはありません。一見地味に見えがちですが、汎用蓋こそが一番輝いているのではないでしょうか。
 汎用蓋は作られた当時の先端技術が結集していて、長年の研究や経験などにより積み重ねられた技術の進歩、規格や仕様の変更など、表面からは見えない部分にも魅力的なことがたくさん詰まっています。平受けから勾配受けへの変化、素材や裏面のリブ構造も時代によって違い、地紋も各時代で工夫されてきました。鍵穴やロック機構といった防犯や安全面での進化、耐スリップ機能をより高めた地紋の開発、下水の流量を常時計測する蓋や、積雪や塩害に対応する蓋などなど、さまざまな特徴を持ち時代とともに進化しています。
 デザイン蓋はそういった汎用蓋の延長線上の物。最初は可愛さや物珍しさに目が行っていましたが、写真撮影をして各地の蓋を収集する楽しさや絵柄の魅力だけではここまで長続きする趣味にはならなかったでしょう。求められる機能や使われている技術を知ることでますます鉄蓋が好きになり、その流れから管渠や下水道の仕組みや技術についても興味を持つようになりました。以前は鉄蓋単体を点で捉えていましたが、最近は”目に見える下水道”であるマンホール蓋を見ながら、地下のインフラ網の繋がりや流れを想像して歩いています。一人ブラタモリ状態。脳内にCG画像が再生されます。
 もちろん、蓋表面のデザインだけでも楽しいですし、見る楽しさだけで終わる人もたくさんいます。むしろその方が多いかもしれません。でも、きっかけが何であれ間口が広がると理解につながる機会も増えると思います。楽しみ方は人それぞれ。難しいことは知らなくてもかまわない。老若男女が自分のペースで楽しめる、そんな気軽さがいいなと思います。

〈さいごに〉

 マンホールの蓋が好きな人を示す言葉には、マンホーラー、鉄蓋愛好家、鉄蓋ファン、探蓋師、蓋趣味人、マンホロジストなど数多くあり、呼び名が混在する中、2013年2月放送のNHK「お元気ですか日本列島」では”マンホリスト”と紹介されました。それを見たある方が「鉄蓋が好きな自分自身を何と呼んでいるか」Twitterでアンケートを取ったところ、“マンホーラー”が1位となる結果に。それ以前も、私の周りでは自発的にマンホーラーと呼んでいる人が多い印象でしたが、2017年1月に開催されたマンホールサミットでその名称が大々的に使われたことも手伝って、現在は対外的にもマンホーラーが定着してきているようです。
 おそらく、業界内では違う言葉があるのだと思いますが、元々ファンが勝手に呼称していた愛称が公式に使われるようになるなんて。ファンの気持ちを大切にしていただいていると感じとても嬉しいです。
 長々と書いてしまいましたが一言でまとめると、私にとってマンホールの蓋は知識への入り口。生涯楽しめる趣味として人生を楽しく豊かにしてくれる物です。
 鉄蓋そして下水道の発展と、利用者の下水道への理解がより深まるよう、微力ではありますがこれからも応援し続けたいと思います。