地方共同法人 日本下水道事業団

メルマガ Mail magazine

50周年記念行事等準備室通信 第9号

野球と仕事の共通点?

事業統括部計画課 工内由香

第 7 号で「これまでを振り返って・・」を投稿しました、事業統括部計画課の工内です。今回「 平成元年及び平成元年度に誕生された職員 」ということで、またまた執筆依頼を頂きました。ネタ切れ感が否めないので、私の趣味の話を、仕事の話をおまけに加えつつしたいと思います。
私の趣味は皆様ご存じ、野球観戦です。私が生まれた平成元年は、近鉄バッファローズが優勝したそうです。この当時のプロ野球は肩を休める概念がなかったのか、なんと、巨人の斎藤雅樹が 21 完投をしていました!! 30 登板で 20 勝 7 敗。とんでもない数字です。今の時代では考えられないです。
事業団の事業費を見ると、平成元年は約1,600 億円、平成 11 年には事業費が約 3,500 億円と、今の倍以上の事業費でした。この事業費を現代のOAサポートなくこなしていたのですから、諸先輩方は斎藤雅樹と同じですね。今の若手職員にやれと言われても、恐らくできないと思います。ソフトバンクの千賀が 21 完投できないことと同じですね。
私の応援する日本ハムでは、今季からショートスターターやオープナーなど新しい戦術を取り入れています。これは、従来のように先発ができるだけ長く投球するのではなく、打者に対して二巡させずに先発 を次々に交代させたり、中継ぎを先発させ、本来の先発投手をロングリリーフとして継投することを言います。
日本ハムは手薄な先発投手に対するリスク回避の戦術として実践していますが、シーズン当初は起用方法に慣れていなかったこともあり、普通に先発が投げていれば勝っていたのになぁという試合が目立ちました。しかし、 7 月末では 2 位と 1.5 ゲーム差、優勝も狙える位置につけ、 8 月に入ると急な失速もありましたが、 CS 目指して薄々な層をフル活用しながら奮闘しています。
このように、新しい取組みにはリスクが付き物ですが、その分メ リットもあります。細かな継投、枠に囚われない起用方法、様々なデータ指標の活用により、確かな成果が表れています。事業団においても、サテライトオフィス等、職場の赴任先に囚われない働き方が進められています。仕事も野球のように、様々な取組みによる効率化を図る時代に差し掛かっているんだなぁと思います。
ただ、やっぱり 1 試合を一人で投げぬくエース、 10 完投の沢村賞基準を超える怪物が現れることを夢見てしまうので、私もまだまだ令和の考え方には染まり切れてないな、と思う今日この頃です。

平成野球年表 ~私の独断と偏見で

入社からこれまでを振り返って

ソリューション推進室 山下 敬裕

この度、平成元年に誕生した職員特集ということで執筆の機会を頂きましたので、入社してからこれまでを振り返りたいと思います。
私は平成26 年度に JS に入社しました。最初は西日本設計センターの土木設計課で 2 年間過ごしました。大阪勤務時代にお世話になった方たちは、プロパー・出向者関わらず今でもたまに飲み会に参加させて頂くなどお付き合いがあり、社会人のスタートとして本当に恵まれた 2 年間だったと思います。
その後、平成28 年度から 2 年間は関東・北陸総合事務所 新潟事務所で勤務しました。
福岡出身ということもあり、学生時代は焼酎しか飲んでいなかったので、新潟に勤務して初めて日本酒の美味しさを知りました。
そして昨年度より現在のソリューション推進室で勤務しています。仕事に関しては、新たな取り組みを進めていく中で苦労することもありますが、今が一番充実していると感じています。(逆に今までの勤務地でもっと頭を使って考えて仕事しないといけなかったなと反省しております・・・)
これまで九州外に旅行することはあっても、就職するまで九州以外で生活したことはありませんでした。大阪・ 新潟・東京と新たな土地で過ごすことは、最初は不安もありましたが、その土地の美味しいものなどを満喫できるため、今は異動で新たな土地に行く事もライフサイクルの一つとして身体に沁みついてきました。
入社してはや6 年目となり、年齢も今年で 30 歳という節目を迎えるなか、社会人としても成長しながら、もっとアフターファイブで身体を動かす趣味を充実させたいなと思っています。月 2 回程度行っているボウリングや、大阪時代に時々やっていた卓球などをもっと積極的にやっていこうと思っていますのでぜひ誘ってください(気が向けば企画もし ます)。あとは、最近初めてゴルフの打ちっ放しに行きましたが、非常に楽しかったので今後定期的に行こうと思っています。
今後もJS の職員として地方公共団体に喜ばれるような仕事ができるように精進したいと思いますので、引き続き皆様からのご指導のほどよろしくお願いします。

平成元年を振り返ろうとしてみて

東日本設計センター企画調整課 樋口靖典

平成元年生まれということで執筆依頼の白羽の矢が立ちましたので、折角なので平成元年を振り返ってみます。………はい、何も覚えてないですね。赤ちゃんだったのでしょうがない です。
では、一番古い記憶は何なのかと思い返そうとしますと、これが存外難しいもので、「それ」が「自己の記憶」なのか、「他者から刷り込まれた記憶」なのか判別がつかないのです。階段から落ちて乳歯が抜けてしまったこと、祖母の背に負ぶさりながら数字カードで遊んでいたこと、野生のヘビにちょっかいを出して指を噛まれたこと…いずれも、過去に起きた自身に関わる事象として自己の記憶に刷り込まれているものの、しかし事実であるという確証がないのです。
「昔の記憶がこんなに曖昧なのは自分だけなのだろうか…?」と調べてみたところ、とあるイギリスで研究された論文のまとめに行きつき、曰く『2歳以前の記憶は全て他人が自分について語った結果として保管された偽の記憶』『一番最初の記憶は3歳を過ぎてからのもの』なのだそうで。読み進めていて、「ああ、じゃあこの記憶は(事実は事実だろうけれども)偽物なのか…」となんとなく気落ちをしていたところ、まとめの一文で『偽の記憶は、自身の生涯という物語の最初期を彩り、成人して以降にポジティブな自己イメージを保持する手助けとなる』と結ばれていました。
なるほど、先に挙げた幼少期の記憶も3分の2はポジティブな記憶かと問われれば疑問ですが、まんざらネガティブなものでもない気がしてきます。そもそも「それ」を持っている事実が(たとえ偽の記憶だとしても)、自らの幼少期を語ってくれる誰かがいてくれたことの証なのだと気づかされ、思いもがけず、何とも言えない幸福感に包まれてしまいました。
さて、 JS という組織も、昔はああだった、こうだった、という昔話を委託団体の担当の方から耳にすることがあります。ポジティブなものもあればネガティブなものもありますが、それらは JS に対し下水道事業を支えるパートナーとして期待をしているからこそ語ってくれているのでは、語ってくれる誰かがいるというのは幸せなことなのでは、と思い至りました。
最後になりますが、設立 50 周年を目前にし、設立当初より委託団体から期待される組織であり続けるよう尽力されてきた諸先輩方に敬意を表するとともに、一員である自身も、ポジティブな組織イメージを保持しながら日々の業務に邁進してまいりたいと思います。引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

「会話」について

九州総合事務所 総務・協定課 山﨑 一輝

今回、50周年事業メールマガジン特集が「平成元年及び平成元年度生まれの職員」ということで寄稿対象者の1人に選んで頂きました。本件を機にこれまでの社会人経験を振り返ることも考えましたが、50年という年月は私の社会人生活は疎か人生の1.7倍程ありますので、振り返りは別の機会とさせて頂き、今回は「会話」について趣味と仕事のそれぞれで感じたことを記載しようと思います。
既にご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は「対戦型カードゲーム」を趣味の1つにしています。(対戦型カードゲームとは1vs1で各々が所有している カードの束(通称:デッキ)を用いて戦う卓上ゲームのことです。)最近では「e sports 」としての話題だけでなく、資格試験を設けて合格したプレイヤーをボランティアとしてイベント参加できるようにする等、界隈では消費者として「商品を買って遊ぶ」といった範囲を超えてプレイヤーとして活動できる範囲が増加し、盛り上がっています。
ボランティア内容はイベント参加者の対戦相手として対戦することやルール説明を行うことなのですが、ボランティアとして初参加した際、「勝敗を重視して参加者と戦う」ことに注力したため、苦労することが多 くありました。イベントに参加する人は真剣勝負希望の人が多いと考えていたのですが、実際は真剣勝負希望の人だけでなく自分のデッキを披露して楽しみたいと考えて参加する人もいたのが主な原因で、私と参加者との間には温度差があるようでした。この温度差を解消すべく、参加者の希望にどのように沿っているか周囲のボランティアの方々に尋ねたところ、対戦前にどんな戦い方を希望するか会話の中で確認するという方が多くいました。そこで私も参加者と「普段誰と対戦しているのか」「大会には参加するのか」等の会話をすることにしました。すると、感 じていた温度差が解消されるだけでなく、対戦後に簡単な感想戦(どこが良くてどこが悪かったか検討すること)ができる程親密なやり取りが多くできるようになったのです。「会話」という行為が後々の展開を大きく変えることができる力を持つものであることを体験した気がしました。
同様の体験を仕事でもすることがあります。例えば自分と相手との間で考え方に差異があると感じた時には、メールでやり取りを行うよりも直接電話等で会話した方が、スムーズにお互いの考えを理解できることが多いような気がします。また、自分がわからないことを質問する 時もメールだけで質問するのではなく、直接担当の方や先輩方の所へ質問に伺う方が、教えて頂いている最中に出た新たな疑問点もすぐに質問できる分、より深くまで理解できるような気がします。
まだまだ未熟ではございますが、皆様の1年1年の積み重ねが50年となるように、私も次の1年を歩む一助となれるよう「会話」を意識して仕事に取り組みたいと思います。今後とも引き続きよろしくお願い致します。

平成を振り返る

近畿総合事務所 PM 室(京都府出向) 伊東 章裕

京都府出向中の伊東です。平成元年生まれの JS 5 年目となります。
しばらく前まで「平成生まれ?若い!」と言われていたような気がしますが、平成生まれの私も今年で 30 となりました。
唐突で大変恐縮ですが、平成を振り返る意味で、簡単に自分の生い立ちを下水道に関する事項と絡めて簡単に振り返ってみたいと思います。

・平成元年~平成7 年
長野県長野市で生まれる。この頃、消費税導入やバブル崩壊など、日本経済が大きく動いていた時代。また、阪神大震災もこの頃(「震災」という言葉だけ鮮明に覚えている)。
・平成8 年~平成 13 年
長野オリンピック。聖火ランナーが小学校の目の前を通るということで、応援しに行ったのを覚えている。この頃オリンピックに向けて急速にインフラ整備を進めていったそう(思えば家からすぐの道路が大きくなっていた)。
小学校4年生頃にはアクアパル千曲(千曲川流域下水道)に見学へ。初めて下水道施設に触れた瞬間。ちなみに、とある JS 先輩職員がこの頃に見学案内をしていたそう。世間は狭い・・・
・平成14 年~平成 19 年
愛知県へ引越し。雨が多い地域で、しばしば浸水被害にあっていた。
福岡・東京での浸水被害( H1 1 )や東海豪雨 H12 )があったこともあり、浸水対策について様々なメニューが追加される(雨水公共下水道など)。 H13 にはお台場の砂浜にオイルボールが漂着し、大きな話題となる。これを受け H15 には合流式下水道の改善が義務化される。
・平成20 年~平成 26 年
大学進学とともに長野へ。
下水道施設の老朽化が進み、 H20 には下水道長寿命化制度が創設。また H23 には補助金から交付金へ。
H23 、東日本大震災。
・平成27 年~平成 29 年
JS 入社し、東京へ。
ちょうど下水道法、水防法、団法 が改正されたタイミングでの入社。
・平成 30 年~平成 31 年
京都府出向。
広域化・共同化計画策定や、今後の改築・更新費用について話題となっているところ。

最近業務で下水道史を読む機会があり、自分の生い立ちと下水道を比べてみたらどうか?と思い、羅列してみました。下水道普及の推進や、浸水対策、老朽化対策、エネルギー活用など、時代のニーズに合わせて様々な施策が展開されています。
下水道は目に見えないため、日々の生活で下水道のありがたみを感じることは少ないですが、近年、愛知県の実家の浸水被害は減りましたし、水洗トイレは増えました。縁の下の力持ちとして、しっかり下水道事業が推進しているということだと思います。
令和の下水道はどのように発展させていくのか、今度はJS 職員としてお手伝いすることができればと思います。

「私とJSと漫画」

関東地方整備局 営繕部 正代一馬

元号が平成から令和に変わり、平成元年世代も順々に30代に突入しております。
今回執筆依頼を頂きました平成元年世代がどのような世代かと言いますと、今も人気を誇っておりますポケモンのアニメが始まったのが小学校 1 年生、ワンピースの連載が始まったのも同じく小学校 1 年生のときでした。
私は平成2年に誕生してから平成 25 年までの間、地元熊本で過ごしておりました。地元では、電車に乗ることはほとんどなく、社会人になりこんなに電車に乗ることになるとは微塵も思っておりませんでした。JSに採用になる平成25年、私はついに熊本 を離れることになりますが、そこで非常に運命を感じたことがあります。それは、私の中の「聖地」、に住むことになるからです。
前段でワンピース、という漫画を例として挙げましたが、私は昔からジャンプ読者でした。私がジャンプを熱読していた時に連載していた漫画と言えば、他には N ARUTO 、B LEACH などが挙げられます。しかしながら、実はその他に、一番楽しみにしていた漫画がありました。それは、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」、通称、こち亀です。
JSから内定を頂いてから約半年後、配属が東日本設計センターに決まり、さ て、どこに住むことになるのか、東京なんて知ってる場所なんかないぞ、と思っていたところ、亀有に宿舎が決まった、という旨の連絡を頂きました。亀有、あの両さんがいる亀有か、と。亀有での生活はとても楽しいものでした。まず、同期と同じマンションだったこと、また次年度には、後輩 2 名の入居もあったことです。野球だなんだと大盛り上がりでした。商店街には惣菜屋や居酒屋がたくさんあり、一人暮らしには強い味方でした。そして何より、設計センターまでは電車で 15 分という、満員電車初心者にはとてもやさしい距離感でした。

亀有公園の両さん像
南口
北口

そして、平成28 年、私が西日本設計センターへ異動してしばらくし、こち亀の連載も200巻で終了しました。あれだけ読んでいたジャンプも読まなくなり、私の中での平成も終わったんだなぁと今となっては感じます。
JSはまもなく 50 周年を迎えます。こち亀 200 巻ではありませんが、次は 100 年、200 年を目指し、末永く続いていくよう、一員として頑張っていきたいと思います。今後とも、よろしくお願い致します。

無題

和田 光矢

平成元年度生まれということで執筆を依頼されました。
平成を振り返ってみようと思いましたが10 歳頃まで物心がついておらず平成の 1/3 を覚えていないことから当事者として語る資格がないと思いました。入社してからこれまでのことを振り返ってみようと思いましたがロクな功績を残しておらず恥じ入りました。
30歳 を迎えようとしていますが、 30 歳は 微妙な年頃だと感じ ます。 「最近の若者は」と言えばまだ自分もその若者に含まれ そうだし 、「最近の年寄りは」と言えるほど昔の年寄りを知らないからです。
今では私も物心がついていると思うので、100 周年のときには令和を振り返りつつ自分の仕事も語れるよう精進します。

周年事業セミナーに参加して~周年事業で会社を変える~

50周年記念行事等準備室 伊藤正英

10月 1 日、日経 BP 総研主催のセミナーに参加しました。
以下に概略をまとめ レポートいたしました 。 (記憶違いもあると思いますが、ご容赦下さい
先ずは主催者挨拶として、日経BP より自社での周年事業の 紹介 がありました。
(日経BP
日経BP は 2019 年に 50 周年を迎え、若手 10 名で事務局を設置し経営層に 諮 りながら事業を進めていった。
周年事業を行ったメリットとして、①自社 の 「 存在 」 を考える こと が でき た。② 「 その先 」を 見据えること が でき 、将来に対して 「 提案 」 が でき た。③今までの 50 年は メデ ィア中心であったが、これからの 50 年はソリューションを中心にすると い う 新たな 「 目標 」 が立った。
主催者挨拶ののち 、日経 BP 司会の もと 、パネリストとして「キューピー」、「帝人」、「象印マホービン」の 3 社企業が登壇いたしました。
内容は二つ に分け、周年事業準備そして具体的な活動について 講演がありました 。

【周年事業準備 について】
①キューピー
キューピーは1919 年創業で、今年 100 周年を迎え る 。
2014年に経営層からの指示に基づき、 20~30 代の若手を中心にしてメンバーが結成され た10 名ほど) 。 2015 年にかけてメンバーを中心に、各自発案をしてもらった。
過去に周年事業を行ったこと が なく 、 どのような 取組をすればよいか 分からず、社内イントラネットを通じて広く全社員からアイデアを募集した( 2018 年までに 99 のアイデアが集まった) 。
周年事業案を募り 、 幾度も検討していく中で、 顧客への感謝も大切だが、 働いている 従業員が 1 番大切である こと に気が付いた。
その結果「事業 コンセプト 」 として、「 100 年間の感謝の気持ちを表し、従業員と会社の未来に向けた成長の 1 歩を」とした。
2017年 、 プロジェクト毎に 18 チームを結成し 、それぞれが 実施事業等を作成し 取り組んだ 。

②帝人
帝人は2018 年に 100 周年を迎えたが、 2016 年夏頃から検討を開始した。
2017年夏に方向性を決めたが、関係者 より 意見を集め、役員会議等を通じて当事者意識を高めてもらった。
100周年事業の目的と訴求ポイントとして、
目的「今までの100 周年の感謝と、次の 100 年に向け“未来の社会を支える会社”になることを伝える」とし、
訴求「人間(のQOL )中心に考える化学会社」とした。
次に100 周年プロジェクトとして、 30~40 代中心に約 30 人体制で具体的なプランを検討した。その結果 9 つのテーマ を設け 、コンサル(外注)のアドバイスを仰ぎながら 1 テーマを 3~4 名で担当し 、 具体的な内容作りを 2018 年から開始した。
そしてプロジェクトを 4 つのフェーズ(感謝、宣言、理解、活動)で進行した。

③象印マホービン
象印は2018 年に 100 周年を迎えた。
2015年から 2 人体制で事務局が結成され、他社の周年事業リサーチを開始した。
事業のタイムスケジュールとして、1 年 前 の 2018 年 5 月開始とし、 2019 年 5 月終了とした。
事業を進めるにあたって、予算を数億円とし、社内、社 外向けの企画を それぞれ 行った。
その上でコンセプトを決めるために社長に確認し、「感謝」と決定した。過去、現在、未来を対象として、事業内容をシート化し経営会議に提案し 、承認後管 理、運営を行った。

【具体的な活動 について 】
①キューピーの場合
期間限定のカフェをオープン(六本木ヒルズ内)。
顧客への感謝として、①1 万名にオリジナルセットをプレゼント②ミニオーケストラを全国の幼稚園、保育園、介護施設(各 10 ヶ所)で開催した。
従業員への感謝として、①全国(海外含む)160 拠点を 1 年かけて巡り、記念ミーテ ィ ングを 実施中 2019 年 11 月終了予定)②東京 ・ 府中にある施設で、次の 100 年 を 目指して特別展示会を開催した。

②帝人の場合
◇社外向け
新しい視点をコンセプトとして、渋谷ヒカリエに展示会を開催した。
未来に向けたテーマを9 つ設け、テーマについては敢えて答えを出さない形にした。来場者に投げかける方法とし、皆で共有する形を取った。
アンケートを実施した結果、展示会について 90% 満足という 高評価をもらった。
コンセプトを実現するために、「環境」「移動」「住空間」「加齢」の4 つの問題に取り組んでいる。
その他の活動として、創業の地である山形県米沢市で記念イベントを開催した。
◇社内向け
社員の半分は外国人であるため、世界中で各種パーティを実施し、イベント内において 100周年に関する動画を放映(世界中に配布)した。

③象印マホービンの場合
①1 年間限定のメッセージロゴを作成②社外用としてスペシャルサイトの開設③社内掲示ポスター制作④全国 5 大紙新聞広告を掲載(漫画による)⑤社員、 OB 向けの式典で、懐かし CM 放映、過去 の 式典ビデオを放映、社歌を全員で合唱⑥社外向け式典で動画を放映⑦社員の参加を促すためにイントラネットを活用⑧外国 語 版の社史を作成⑨過去のエピソードの「その後」を取材。 1965 年に宝塚動物園に象を寄贈したが、閉園となり、象はその後韓国の動物園に 移動 した事が分かったので、所在を確認するために韓国に赴いた。

最後に各社からのアドバイスとして、
周年事業を行うに当たって、①目的の 明確化(基本コンセプトを固める)②従業員みんなの 事業である ことの 意識付け (協力体制づくり)③効率的な外注④将来に向けての取組みが成功のポイント であるという 内容のセミナーでした。
余談ですが、 講演の 後 、第 二 部 で パネルディスカッションが開催されました。登壇企業は、「JTB コミュニケーションデザイン」、「神奈川県立川崎図書館」、「日経 BP 総研」でした。
JTB、 日経 BP 総研 から 、「今後「周年事業」を行う場合は、是非弊社を活用して下さい」という アピールがありました 。川崎図書館は、現在 19,500 冊の 「 社史 」 を収蔵しており、14,000 冊を公開している そうです 。

参考までに、「キューピー」、「帝人」、「象印マホービン」の外部向けHP を添付します。
https://www.kewpie.co.jp/100th/
https://brandtimes.jp/story/teijin/JSbpW
https://www.zojirushi.co.jp/corp/news/2018/180109/100th.html