土木職 西日本設計センター
次長
(取材当時)

profile

PROFILE

  • 1993年入社
  • 工学部土木工学科

大好きな角松敏生の曲を、昔ながらの音響装置で大きな音で聴くのが大好き。でも、娘からはかなり不評なので、最近は塾に行っている間を見計らって聴いています(苦笑)。

土木職
CAREER PATH

これまでのキャリアパス

1993年~1995年

大阪支社 設計第一課(大阪府)

入社して最初の配属先は設計第一課。下水道施設を設計し、その工事を発注する部署です。実際に私が図面を描くのではなく、コンサルタント会社に設計を外注し、その進捗具合や内容の管理・協議をするのが仕事。意見を交わし合いながら、設計書を作り上げていき、できあがったものに基づいて工事を発注するのです。同じ大学の研究室で、ひとつ上の先輩が同じ部署だったことから、その方に手取り足取り教えてもらう日々でした。

1995年~1997年

大阪支社 琵琶湖工事事務所(滋賀県)

入社3年目に施工管理の部署へ異動。図面どおりに施工されているか、予期しないことが発生した時にどう対処するか、工事の進捗に合わせて確認・調整していくことを担当。事務所といっても工事現場の中に出張所があるようなもので、そこに詰めていたのはなんと私一人。今ではありえないことです(笑)。最初は「どうしよう…」と心細かったのですが、施工業者の人たちには同世代も多く、今思えばのびのびと自由に仕事をさせてもらって楽しかったです。

1997年~1999年

大阪支社 設計第二課(大阪府)

再び設計の部署へ。前回は鳥取、島根、岡山といった山陰・中国地方を担当しましたが、このときは熊本を担当。全国に下水道を普及させようと新設工事が盛んだった時代で、常にスケジュールに追われていましたね。ただ、新人(前回)の頃と比べて、主体的に判断ができるようになっているなと、少し成長を実感できました。

1999年~2000年

大阪支社 土木設計課(大阪府)

組織体制が変わり、土木設計課という名称になったものの、仕事内容は設計第二課とほぼ一緒。引き続き、九州地方の案件を担当しました。

2000年~2002年

東京支社 東海総合事務所(愛知県)

勤務地は大阪から名古屋へ。ここでは設計業務と現場監督の両方を担当。初めて新入社員を指導する係になったのですが、どのように教えたらいいのか悩み、人に教える前に、自分がちゃんとやらなければと強く思うようになりました。それまで自分を振り返る機会があまりなかったので、指導係になったことは良いきっかけでした。

2002年~2005年

国土交通省国土技術政策総合研究所(茨城県)

茨城県つくば市にある研究所に出向。国交省はもちろん、自治体や民間企業から出向してきた人たちとともに、土木の調達に関する研究に携わりました。具体的には、工事を発注する時、どうすれば最適な積算ができるか。また、品質を向上させるために施工業者をどのように選定するのか、どのように監督や検査を行えばよいのかなど、一連の手続きをどう最適化していくかといった課題に取り組みました。日本下水道事業団(JS)を離れて異業種の人たちと一緒に仕事をするのは刺激的で、視野も広がりました。

2005年~2006年

技術開発部 技術開発課(埼玉県)

JSに戻り技術開発部へ。その名のとおり、技術を開発するために研究する部署で、私が取り組んだのは主に二つ。ひとつは、下水道に流れ込んだノロウイルスをどのようにして除去するかという処理・消毒技術の改良。もうひとつは、シミュレーション技術を水処理の設計や運転技術に生かせないかという新技術の開発でした。当時は研究に没頭し、寝る間を惜しんで勉強に励んでいましたね。

2006年~2010年

東海総合事務所
プロジェクトマネジメント室(愛知県)

再び名古屋へ異動。設計や工事の進捗や予算のマネジメント業務を担当。地方自治体との窓口として、また、設計部署、工事担当部署を統括するプロジェクトの責任者でもありました。当時手掛けていたプロジェクトは10本ぐらい。これまでに設計業務や施工管理の各パートを経験していたので、マネジメント業務への戸惑いはなく、比較的スムーズに仕事を進めることができたと思いますし、むしろ自分には合っているのではないかと思っていました。

2010年~2012年

事業統括部 事業課(東京都)

名古屋から東京に転勤し、課長代理として事業統括部に配属。忘れられないのは、2011年3月の東日本大震災。災害支援を統括する部署として、誰を派遣して、何をしてもらうか。いつまでにどのような方法で復旧させるのか。原発事故で近づけないところの工事はどうするのかetc.さまざまな問題が次から次へと噴出するものの、前例がないだけに議論は白熱し、現場も混乱。災害対応に明け暮れた2年間でした。

2012年~2014年

事業統括部 計画課(東京都)

同じ事業統括部でも人事を担当する計画課へ課長代理として赴任。採用も含めた人事の仕事はいつかやってみたいと思っていました。どうすれば学生たちがJSに目を向けてくれるかをみんなで考えて、自分たちの裁量で新しいことに取り組めたのはやりがいがありましたね。その一例が合同会社説明会。JSはそれまで一度も参加したことがなかったのですが、より多くの学生にJSを知ってもらう機会を増やすために予算を付けてもらいトライ。おかげでJSを受けてくれる学生が増えるという結果につながり、達成感を得ることができました。

2014年~2016年

堺市上下水道局下水道部(大阪府)

下水道施設課長として地方公共団体に出向。勤務地は東京から大阪へ。地方公共団体はJSにとってお客様です。日頃、どのような視点で仕事に取り組んでいるのか。そもそも行政の現場はどのようなものなのか。お客様のことをきちんと理解した上で提案しなければならないと考えていただけに、堺市への出向は自分の視野を広げる上で歓迎すべきことでした。

2016年~2019年

事業統括部 事業課(東京都)

大阪から東京に戻り、事業統括部事業課の課長に赴任。歓迎会の帰り道に熊本地震の発生を知り、そのまま会社へ急行。初仕事は災害対応でした。東日本大震災時の経験が役に立ち、迅速に対応できたと思います。

2019年~現在

西日本設計センター(大阪府)

東京から再び大阪へ。西日本設計センターの次長として、センター全体の仕事をマネジメントする傍ら、企画調整課の課長を兼務。JSで長く働いてきて思うのは、技術力と人間力の大切さです。どちらか一方だけでは、地方公共団体のニーズに応えていくことはできないでしょう。この2つの力を駆使し、プロ意識をもって仕事に取り組んでもらいたい。そう願って、私自身も技術力と人間力の研鑽に日々努めています。
土木職

学生へのメッセージ

今、日本の下水道施設は「建てる」時代から「守る」時代へと変わりつつあります。それに伴い、JSも将来に向けた岐路に立ち、若い人たちのアイデアや行動力を必要としています。「JSでやりたいことが明確に見えてこない…」。それでも構いません。現に私がそうでした。JSの仕事は驚くほど多岐に渡っており、しかもジョブローテション制度によっていろいろ経験することができます。だから大丈夫。きっと興味の持てるものが見つかると思います。

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