電気職 西日本設計センター
電気設計課
課長
(取材当時)

profile

PROFILE

  • 1992年入社
  • 高等専門学校 電気工学科

入社してから仕事で訪れた場所は日本全国津々浦々。気づけば46都道府県制覇。残るは長野県のみ。さていつになることか?

電気職
CAREER PATH

これまでのキャリアパス

1992年~1994年

大阪支社 設計第二課(大阪府)

入社して最初に携わったのは、下水処理場やポンプ場で使われる電気設備の設計および工事の発注業務でした。設計コンサルタントと打ち合わせを重ね設計を行い、その後工事設計書を作成し、積算内容に間違いがないか、委託団体の要望を反映しているかなどを確認・調整した上で、工事を発注するのです。私が入社した当時は、小規模処理場の建設がピークの時代。当時の設計第二課では主に九州エリアを担当しており、私も2年目から熊本県のプロジェクトを任されることに。周りの方に教えを請いながら、懸命に仕事に取り組んでいたことを覚えています。

1994年~1997年

大阪支社 岡山工事事務所(岡山県)

入社3年目に大阪から岡山へ。日本下水道事業団(JS)では、2~3年ごとに異動があり、設計業務と工事監督業務を交互に行うことが多いです。「そろそろ現場かな」と思っていた矢先の転勤で、岡山も住んでみると居心地のとても良い土地でした。工事監督の仕事は、設計書の内容について委託団体やメーカーと協議しながら工事内容を調整し、工事の進捗に合わせて確認・管理していくこと。最初はどう動けばいいのかわからず、戸惑いもありましたが、上司や先輩たちのアドバイスもあり、現場の仕事を少しずつ理解していきました。

1997年~2000年

東京支社 設計第二課(東京都)

岡山から東京に移り、再び設計の部署へ異動しました。担当したのは神奈川、栃木、秋田、青森。入社6年目になると、一人でプロジェクトを任されるようになり、その規模も大きくなりました。それに伴いやることも増え、設計の打ち合わせで現場に行くこともたびたび。これまで担当してきた西日本エリアとは気候も風土も異なるため、委託団体の方々と協議しながら、雪対策や凍結対策なども検討していきました。

2000年~2002年

本社工務部 電気課(東京都)

東京勤務は変わらないものの、設計第二課から電気課へ異動することに。ここでは、さまざまな基準の作成や契約事務の取りまとめなどに携わりました。基準づくりという上流の仕事を経験させてもらったことは貴重な経験でしたね。例えば、工事を発注する際の積算について、なぜそのような歩掛(工事においてひとつの作業を行うにあたり、必要な作業手間を数値化したもの)になるのか。その仕組みがわかり、ひとつひとつの仕事に意味があることをより深く理解できるようになりました。

2002年~2004年

東京支社 東海総合事務所(愛知県)

勤務地は東京から名古屋へ。当時は今と違い、東海総合事務所では自身で設計したものを、自分の責任下で工事監督する体制をとっていました。一気通貫で携われる面白みがありましたが、ミスを目の当たりにする苦い経験も。例えば、図面上では問題なかった計測装置が現場でうまく設置場所に収まらず、肝を冷やすこともありましたね。

2004年~2010年

四国総合事務所 施工管理課(愛媛県)

名古屋から地元、愛媛へ。ここで6年間を過ごしました。施工管理課として工事監督業務を行うだけでなく、引き渡し後のアフターサービスも併任。「使い勝手が悪い」「うまく機能しない」などの問題が生じると随時対応しました。より良いものを納めたいという思いから、JSでは運用面でのサポートにも力を入れているのです。

2010年~2012年

西日本設計センター 電気設計課(大阪府)

勤務地は愛媛から大阪へ移り、課長代理として電気設計課に赴任。課内には約20名の部下がいましたが、大半が自治体からの出向者。JSでの仕事のやり方や進め方を教える一方、職員同士の横の連携がスムーズになるように心をくばりました。一人で問題を抱え込まず、お互いが情報共有できれば、仕事ははかどり、より良いものができるはずですから。個人的には、設計業務が6年ぶりということで少し戸惑いも。以前よりも更新案件が増えたこともあり、下水道の処理能力を落とさずにモノを変えていくことの難しさを痛感しました。

2012年~2014年

九州総合事務所 熊本事務所(熊本県)

熊本へ異動すると、私を含めて職員5名の熊本事務所の所長に就くことに。ここでは、主に工事監督業務を担当しました。事務所長といっても、私より年上のベテランの方が多い職場でしたが、もともとJSはアットホームな雰囲気が根付いているのですぐに馴染むことができました。仕事が終わったあとにみんなでワイワイ飲みに行くことも多かったですね(笑)。

2014年~2016年

技術戦略部 技術基準課(東京都)

自然豊かな熊本から一転、首都東京へ。環境の変化と仕事内容の違いに、赴任後1カ月はなかなか大変でした。ここでは、さまざまな技術的な基準を作成する技術基準課の課長代理に。仕事自体は工務部電気課時代に携わっていたものと変わりませんが、課長代理ということで、自分が主担当として基準をつくる立場となったため、責任もより重大に。とはいえ、JSのまさに“基準”となる仕事であり、やりがいは大きかったですね。

2016年~2018年

東北総合事務所 施工管理課(宮城県)

勤務地は東京から宮城へ。東日本大震災から5年の月日が経っていましたが、被災したままの姿の施設も多く、そのような施設の復旧作業に取り組みました。主任監督員として、土木、建築、電気、機械といった各工事監督を取りまとめる役割を担い、それぞれの工事の進捗具合を見ながらスケジュールを調整。また、自治体との窓口として、関係部局との調整や協議も担当しました。特に日本三景である松島町の場合、国立公園の中に雨水ポンプ場をつくるため、観光協会や公園管理事務所、ホテルなど多数の関係者との調整の中で事業を進めていくことは大変でした。なんとか赴任中に完成できた時は感無量でした。

2018年~現在

西日本設計センター 電気設計課(大阪府)

再び西日本設計センターに勤務となり、宮城から大阪へ転勤。電気設計課の課長として、西日本管内の下水道施設における電気設備設計の取りまとめと、課内の人事管理に携わっています。現在、私を含めて部下は13名。下は入社3年目から上は60代のベテランまで幅広く、自治体からの出向者も在籍しています。委託団体から喜んでもらえる施設の提供を目標に、職員同士が連携して取り組めるような環境づくりが目下の課題です。
電気職

学生へのメッセージ

一口に下水処理場といっても、その土地の気候やニーズによってつくるものは全然違ってきます。標準設計はあるものの、それをベースにカスタマイズしていくので、同じものはひとつとしてありません。そんな巨大プラントに携わる仕事を、行政側の責任ある立場で数多く手掛けられるのはJSだけではないでしょうか。ダイナミックな仕事であり、環境社会に役立つ仕事でもあるJSの仕事に魅力を感じてもらえたなら、ぜひエントリーしてみてください。

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