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建築職 東日本設計センター
建築設計課長
(取材当時)
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PROFILE
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- 1990年入社
- 理工学部 海洋建築学科
20年以上も前からいま話題のソロキャンプにハマり、結婚後はファミリーキャンプでバーベキューの腕を披露。家族には少々あきられながらも、キャンプグッズは増える一方です。

これまでのキャリアパス
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1990年~1991年
東京支社 設計第一課(東京都)
- 1年目は、先輩に付いて仕事の基本を学ぶ日々。設計や積算のやり方、地方公共団体やコンサルタント会社との打ち合わせの仕方など先輩の行う姿を見て、JSにおける建築職の仕事を理解していきました。印象に残っているのは、神奈川県鎌倉市に建設中だった山崎浄化センターのプロジェクト。下水道施設をもっと身近に感じてもらいたいと、水処理設備棟の上部を利用して、スポーツ施設をつくるという画期的な計画が進んでいました。「いよいよ下水道施設も注目を集める時代になってきた!」と胸が高鳴ったのを今でもよく覚えています。
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1991年~1992年
東京支社 設計第四課(東京都)
- 組織改編により設計第一課で扱っていた案件の一部が第四課に移り、それに伴い、私も第四課へ。そして茨城県の案件を託されることになりました。独り立ちしたといっても、まだまだわからないことも多く、先輩に相談しながら取り組んでいきました。
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1992年~1995年
大阪支社 琵琶湖工事事務所(滋賀県)
- 工事監督として滋賀県に赴任。仕事内容がガラリと変わったこともさることながら、関東以外で生活したのが初めてだったので、すべてが新鮮でした。気候も言葉も文化も違って衝撃的でしたが、興味深くて楽しかったですね。建築というのは、その土地ならではの風土や文化をどう取り入れていくかが問われるもの。それゆえ、実際にそこで暮らし、肌で感じることができたのは貴重な経験でした。
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1995年~1996年
下水道業務管理センター(東京都)
- 琵琶湖工事事務所で勤務していた3年目の冬、阪神・淡路大震災が発生。大阪支社への異動を希望していましたが、東京に戻って下水道業務管理センターに出向しました。ここはJSから委託された業務を行う組織。私が担当したのは、地方公共団体が下水道事業に関して抱えている課題やニーズを取りまとめる仕事でした。そのため、下水道業界の今後を見据える上で大変勉強になりました。
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1996年~1999年
東京支社 技術援助課(東京都)
- JSに戻って配属されたのは技術援助課。主な仕事は、完成した施設を委託団体に引き渡す前の試運転の立ち会いと、引き渡し後の点検業務。さらに、耐震診断の普及活動でした。阪神・淡路大震災を受けて、JSでは全国の地方公共団体に向けて耐震診断を行うことを勧めていましたが、当時は今と違ってなかなか受け入れてもらえず苦労しました。
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1999年~2001年
東京支社 静岡工事事務所(静岡県)
- 当時、静岡の事務所には20代後半~30代の同世代が多く、活気があってアットホームな職場でした。みんな仲が良くて、今でも付き合いが続いています。施工管理業務に詳しい建築職の先輩がいたおかげで、設計図面との照合確認に役立つさまざまな技術を教わりました。
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2001年~2003年
東京支社 技術指導課(東京都)
- 技術指導課では、検査官として工事の完成検査を担当しました。JSが定める指針や技術的基準を満たしているかどうかを最終的にチェックするのですが、現場はたいてい私より年上のベテランの先輩方ばかり。そうした人たちが手がけたものを検査していくのは、正直、荷が重かったですね(苦笑)。
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2004年~2006年
東日本設計センター 企画調整課(東京都)
- 現在の企画調整課の仕事とは少し異なり、当時は設計や工事の発注などを行う窓口として、各事務所との調整を行っていました。
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2006年~2008年
関東・北陸総合事務所
プロジェクトマネジメント室(東京都) - 組織改革が行われ、委託団体との窓口を一本化し、プロジェクトをスムーズに進行させるためにプロジェクトマネジメント室が誕生しました。私はプロジェクトマネージャーとして、土木・建築・機械・電気の各担当をまとめながら、設計費や工事費の管理も行い、プロジェクトを推進していく立場に。やるべきことが多々あり、悩みながらも懸命に取り組んだ日々でした。
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2008年~2010年
東北総合事務所 施工管理課(宮城県)
- 東北エリア内にある工事事務所を回り、施工管理・工事監督業務を行いました。建築職は私を含めて二人しかおらず、広大な東北6県を見て回るのは大変。雪道を運転して現場を回ったあの頃がなつかしいですね。
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2010年~2012年
東北総合事務所
プロジェクトマネジメント室(宮城県) -
再びプロジェクトマネージャーをやらせていただくことに。二度目は、前回の経験を生かして取り組めたように思います。そのひとつが新技術の導入。前回は委託団体の方々にうまく提案できなかったのですが、このときは導入にこぎつけました。汚泥から発生する消化ガスを利用して自家発電するという新技術を、山形市浄化センターに取り入れていただいたのです。受注の瞬間は非常にうれしかったですね。
2011年の東日本大震災のときは自分も被災しましたが、家族の安否を確認すると担当の山形へ急行。不眠不休で復旧活動に奔走しました。
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2012年~2014年
西日本設計センター 企画調整課(大阪府)
- 二度目の企画調整課では、以前の仲間もいて久しぶりの再会に喜び合いました。JSでは先輩も後輩もみんなが全国を回るので、いろんな場所で、いろんなカタチで再会できるところが面白いですね。「まさかここで会うとは!」とお互い驚くことも…。
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2014年~2016年
東日本設計センター 建築設計課(東京都)
- 久しぶりに設計業務に携わることに。さらに、課長代理として部下を取りまとめる管理職となり、これまで以上に仕事に責任を感じるようになりました。担当したのは、東日本大震災で被災した仙台市の復旧案件。安心・安全への追求を肝に銘じたことはいうまでもありません。
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2016年~2019年
西日本設計センター 建築設計課(大阪府)
- 再び西日本設計センターに。今度は課長という立場で赴任しました。企画調整課時代に進行していた案件の設計業務だったので、スムーズに引き継ぐことができたように思います。
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2019年~現在
東日本設計センター 建築設計課(東京都)
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現在の仕事は、西日本設計センターで担当していた内容とほとんど変わりません。ただ、すべての案件を見渡し、人を動かしていかなければならない課長という立場になって、ものの見方が変わり、責任感もより強くなったと感じています。
建築職は、JSの中でもとくに個性的な人間が多いと思います。それぞれの個性をどう生かすか。最後は私が責任をとるから、自由にのびのびと好きなようにやってほしい―――。そんなスタンスで、これからも若い人材を育てていきたいと考えています。
